もし自分がその立場だったら...と考えたら落ち込む映画
「劇場のティッシュケースが全て消えた」と上映当時言われていた映画で、アナと雪の女王と同時期だったのであまり話題にならなかった秀作。
実話をもとにしたゲイカップルとダウン症の少年の話。
あらすじ
主人公は2人の男性。この男性たちは付き合っており、ゲイを隠しながら付き合っています。日本ドラマの「昨日なに食べた?」の主人公2人と似たような関係です。
2人が住んでいたマンションには、ネグレクトな母親がいました。薬物に溺れ息子を放置していたのです。そんな状態を見かねて、2人はその少年を引き取ることを決意しました。3人で家族になろうと考えたのです。
ただしここで問題が起こります。主人公の2人がゲイである事実が公になり、その少年と一緒に住めなくなってしまいました。少年が施設に行ってしまうのです。同居がむずかしいのは、法律上の問題やゲイであることが受け入れられないからです。
3人の未来はどうなるのでしょうか。。。というお話です。
他人を放っておけない人とは距離を置く
たとえば、ぼくのマンションの隣の部屋にゲイのカップルが住んでいても、ぼくにはなにも関係ありません。もし迷惑な行為をされたとしても、それは迷惑な人なのであり、迷惑なゲイではないのです。
べつにゲイを強調する意味はないし、ゲイだから問題を起こすわけでもないでしょう。「男/女だからそういうことするんでしょ」と言われたらカチンとくるのと同じで、分類で相手を印象づけるのはただの差別。
チョコレートドーナッツでも問題になったのは、「分類で相手を決めつける人」が一般的に多かったことです。時代背景が1970年代なのもありゲイへの考え方が浸透していなく、生理的にムリな領域だと思われていたのでしょう。だから主人公の2人も隠していた。
言い方を変えると、ぼくたちがゴキブリを見たらゾッとするように、ゲイはその当時のゴキブリのような見方をされていたのかもしれません。(この比喩はちょっと違うかも…)
ただし相手は人間ですし、べつに危害を加えられているわけでもない。にもかかわらず、他人の人生に口を出す人がめちゃくちゃ多いんですよね。暇人が多い。
相手の経緯も把握する
チョコレートドーナッツを観て教訓になったのは、表面上の情報だけで相手を決めつけてはいけない、という当たり前の考え方です。ゲイが少年と一緒に暮らしている!→やばい!ではなく、
→ゲイが少年と暮らしている!→やばい!
この2つの「→」になにがあったかも探るべきです。もし相手になにかを伝えようと思うなら、そこまで把握して「やばい!」と言うべき。相手のバックグラウンドも想像せずに自分の思ったことを発信するのは、小学校の先生に注意される行動です。
大人がすることじゃない。
なのでやっぱりぼくは、なんでも批判的に考えつつ、相手の思考を理解できる人間になりたいと思いました。共感はできなくても、理解されできればわかり合える。
まとめ
一緒に観に行った友人には、「これで泣かないとかサイコパスかよ」と言われましたが、それよりもゲイである事実がそこまで人生の足かせになるのかと衝撃で、それどころではありませんでした。
そもそもこの作品は感動を呼ぶものではなく、問題を提起するものに近いはずです。良い話ではなく、改善すべき話です。
読んでいただきありがとうございます。これからも読んでもらえるとうれしいです。