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この映画は夫婦(恋人)とのマンネリを防ぐヒントが盛りだくさん

ピチピチの10代の恋愛も観てておもしろいときもあるんですけど、お互い成熟した40代以降の恋愛を観ているほうが、ぼくのような20代後半に差し掛かる男には響いたりします。笑

コミュニケーションの使い方、そして愛情のつなぎ方が大変勉強になる映画でした。

あらすじ

主人公は、阿部寛さんと天海祐希さん。2人は夫婦役をやっており、子どもも1人います。そしてその子どもが巣立ち、2人きりで暮らすことになりました。

「2人でどう生活すればいいんだ?」と阿部さんが悩んでいると、天海さんが隠していた離婚届を見つけてしまいます。阿部さんは驚き、あらゆる思考を巡らせました。

ここから熟年夫婦の恋愛が、リスタートしておもしろくなっていきます。

恋妻家の意味

そもそもこの映画を観たとき、タイトルの「恋妻家」に違和感を覚えました。愛妻家ではないの?と。意味を調べたところ、脚本家の造語らしいですね。

愛妻家→妻を熱烈に愛してやまない男性のこと
恋妻家→妻への思いに改めて気がついた夫のこと

つまり愛妻家ほど妻を愛する素振りは見せないんですけど、いろいろあってほんとうは愛していること、自分の正直な気持ちに気づいた人って感じですかね。

恋妻家は愛妻家と違って、感情表現が疎く照れ屋な部分があります。なので相手が求めているメッセージにわかっていても自分からは言えなかったりあえて違うことを言ったり、そんなコミュニケーションをしがち。

だから夫婦間で問題が起こるんでしょうね。。。

愛妻家って褒められる存在ではないと思う

ただ「愛妻家宮本」を観ていてめちゃくちゃ思ったのは、恋妻家がスタンダードであり、愛妻家はイレギュラーなんじゃないの?という仮説です。というのも30年40年も1人の人をずっと愛するって、べつに特別褒められることではないですよね。

「白米が好きで40年間食べてるんです」と言われても、ふーんで終わります。それと同じで、別にずっと好み続けることがステキとは限らない。それが正しいなんて、だれが決めたんでしょう?

むしろ「白米を嫌いになったり好きになったりで、だけど40年食べてますね」のほうが、その話に興味が持てます。紆余曲折あったんだとわかるからです。もちろん40年間ずっと白米が好きなのもいいんですけど、たぶんそれは思考を止めているだけなんだろうなぁと批判的に考えてしまいました。

人間は環境で大きく性格が変わりますから、40年の間にいろんな変化を経験していると思うんですよ。にもかかわらず妻を愛し続けるのは、不気味な感じがします。

そういう意味で、「愛妻家宮本」は夫婦の自然な紆余曲折を描いていました。ただのハッピーエンドではない、その日完結じゃないその日完結の生き方の1例が、ここにあるイメージです。

結婚したら夫婦仲良く、年をとっても仲良く?

この価値観を誰が作ったかわかりませんが、「妻は子どもをずっと愛すもの」くらいビミョーな価値観です。「結婚=一生仲良くする」ってもうだいぶ古いよなと、「愛妻家宮本」を観ておもいました。

人生いろいろあるんで、選択肢は幅広くもっておいたほうがいいですね。もちろんずっと仲良く夫婦で暮らすのもいいんですけど、それだけが選択肢じゃない。

AかBではなく、Cという選択肢が大事。

ぼくのようにひねくれた考え方をしてこの映画を観る人は少ないと思いますけど、ラストまでのテンポもよく笑いあり涙ありでめちゃおもしろいので、お時間あるときにぜひ〜

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B073TRNBLZ/ref=atv_hm_hom_3_c_ws5uSS_7_12

読んでいただきありがとうございます。これからも読んでもらえるとうれしいです。