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なぜ青学と昭和音大は厚木を去ったのか? (厚木の門番・木村隼人の証言)『暇』2023年7月号

——厚木の門番・木村隼人(45歳)といえば、本厚木駅徒歩1分の立地の日本酒バル・かん助代表。厚木の人と街を見つめ続けてきていま思うことは?

木村隼人 あつぎ鮎まつりも年々規模が縮小されていって、俺が30歳前後の頃までは前夜祭があって芸能人も来ていた。今では前夜祭がなくなって土曜と日曜だけになっちゃった。花火大会ももともとは2万発だったんだけど今はだいぶ減っている。特に2010年代頃には、厚木はいいところを海老名に持っていかれたよね。ロマンスカーも海老名には停まらなかったのに停まるようになったりとか。

——僕らが育った緑ヶ丘商店街もなくなってしまった。

木村隼人 今はトレリスになってるところ(戸室5丁目)に、会員制の巨大スーパーkou's(コーズ)ができたころから商店街のお客さんをみんなそっちに取られていく流れができちゃったからね。

——コロナ禍を経てここ数年の厚木の変化は?

木村隼人 リモートワークになった人が多い。日産もソニーも日立も。アンリツとかも大きいけど、リモートワークする人が一気に増えたよね。常連で来てた人たちがそれで本当に来なくなった。工場勤務とかだと現場にどうしても人間が出てやらなきゃいけないけど、そうじゃない人たちはリモートで済むからね。週に1回か2回かしか会社に出てこなくなった。
俺の知り合いでうちによく来ていたある社長さんも、厚木に事務所を構えていたんだけどリモートでやれることに気づいてしまって。毎月家賃数十万円と水道光熱費払ってたけど「もうやめた!」と。「なくてもできるんだもん!」って。

未完のケーブルカー構想

木村隼人 ところで「なぜ青学と昭和音大は厚木から出ていったのか?」っていう経緯があるよね。

——青学は1982年に厚木キャンパス設置、2003年に撤退。昭和音大は1969年に厚木校舎設置、2007年撤退。

木村隼人 あれはなぜそうなったのか? 1980年代ごろ上溝のあたりから七沢・森の里を抜けてケーブルカーが伊勢原のほうまで通る計画があったんだけど、その計画が頓挫してしまったんだよ。
俺らの同級生の親世代は森の里に40坪で1億円ぐらいの家を買ってた。「ここにはケーブルカーが通るし!」って。一説によると神奈中の猛反対で計画中止になったらしいんだよ、バスに乗らなくなるから。
だけど、森の里の人間からすると「騙された!」ってなったんだよね。「高い金出して森の里を高級住宅地にしたのに! なんでこんな山奥に高い金だして住まなきゃいけないんだ!」って。その現実に初めて直面したんだよ。それで昭和音大もいなくなっちゃった。その後、ケーブルカー構想を復活させようとした人が市長選に立候補したんだけど、でも勝てなかった。ケーブルカー構想を今からでも復活すべきだよ。

(聞き手・杉本健太郎)


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