常識とはあくまでも自分の常識
昔、クラスメイトに親がドイツ人と日本人という子がいました。
その子が卒業の時に、みんなにどうしても伝えたいことがあると言って、涙を流しながらこう語ったのです。「日本の人は、私たちを『外人』と呼びますが、これを言われると『外の人』と仲間外れのような気持ちになって非常に悲しいです。是非、みんなには『外人』ではなく『外国人』と言って欲しい。」
この時、自分たちが当たり前のように使っていた言葉によって、傷ついている人がいることを気付かされたのでした。
それから数十年後、知り合った外国人に、「クラスメイトにハーフの子がいて・・・」とこの話をしたのです。
するとその人は、「それぞれの感じ方があるから難しいよね・・・、ちなみに君が今使った『ハーフ』だって言われた方にしてみたら、半分って何だよ!?って感じたりするんだよ。」と・・・。
再び、衝撃を受けたのでした。
当たり前のように使ってきた『外人』も『ハーフ』も、自分の常識の外では使って欲しくない言葉だったのですから。
それぞれの環境で常識が作られるので、自分の常識の中で使っている言葉が、他の人たちにとってどのように感じるかは聞く機会が無い限りは知ることができないです。
でも、多様性の時代なので、自分とは異なる常識を持つ人たちがいるということだけは意識して、異なる常識を知った時は自分の常識をアップデートしていくことが大切ですね!
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