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#36 無料の恐ろしさ

前回は「お金は価値あるものに払うことを学んだ」ということを言うために、お金は人を分ける力があるよねと言うことを書きました。詳しくは前回の記事を見てみると言いたいことがなんとなくわかる気がします。

さて、「お金は価値あるものに払おう」ということに対して、前回は当たり前かもしれませんが、みたいな言い回しをしたのですがよくよく考えると今はあんまり当たり前という感覚が薄れているのかもしれないなと感じたのです。その理由の1つとして「無料の罠」があると思います。

無料って見た目はめっちゃ甘い

深夜のよくわからない青汁の通販番組から、とあるサブスクのサービスまで様々なところで「無料」という文字を最近目にするようになりました。こういうのを見る限り、最近「無料」というのは魚を釣る餌みたいな感覚を覚えます。昔と違い、情報が格段に氾濫している世界では私たちが授かる情報やコンテンツが非常に増えており、正直1人で判断することは本当に難しいです。だからこそ、今は広告を打って様々な商品との差異を見出したり時には過剰に見せることで人々の目を寄せ付けることが今の課題になっている気がします。その一環として、無料というゲートウェイがあるのです。

ビジネスの話をする気は毛頭もないので詳しくは言えないのですが、やはり「0から1を作り出す」という行為は非常に難しいことだと思います。いかにお客さんの目を引き、その商品を買ってもらうかという中で「無料」という言葉は目を引きやすいし、なんなら1回手に取ってもらえるしいいとこずくめです。だから、お客さんをホイホイ誘い出す1つの手段としては無料はとても耳障りの良い言葉です。

また、「基本無料」というコンテンツがゲームをはじめ様々なところで目に付くようになりました。こんな重厚なストーリーや楽しさを無料で傍受してしまっていいのかという戸惑い半面、でも無料だしなんもお金だとかあんま考えなくていいよなぁと気楽な気持ちになるのです。

「無料」にすると何が起きるか

なんか無料と言うとよさそうに聞こえてくるよねぇと思う反面、よくよく考えてみると「無料」という甘い餌の先には大体手厳しい罠があります。広告で「無料!」って書いてある横にある謎の"※"が大体物語っています。初回手数料がわんさかかかるだとか、途中で解約すると大金を請求されるだとか、DMとか営業の電話がわんさか来るだとか、無料につられた先にある末路は大抵いいものではありません。だからこそ無料がこわいなぁと思うのです。

また、無料というのはそれ以外にも人を狂わせます。先ほど書いた「基本無料ゲーム」というのを例にとってみます。ゲーム会社からすると、その基本無料ゲームというのはほとんどの場合慈善事業でやっているわけではないのですから、開発費用や人件費を回収する必要があります。なので、ユーザーにどこかで課金させようということを考えます。そこで一番多いのは「ストレス」を利用させる手段です。ゲームの速度が遅い、強いキャラがでなくて勝てない、スタミナが切れてしまってこれ以上ゲームができない、たびたび出てくる広告がうざいなど様々なストレスを抱えることで、お金を落とさせようという方策を取っているのです。そうなると何が起きるかと言うと人は無料のゲームに対してストレスを解消したいからお金を払おうと思うのです。そういう怒りを基にして払うと、負のループに陥りがちです。Twitterでよく見る感じのループです。(広報みやぎ 2010より引用。)

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もちろん、そういうお金の払い方も1つの払い方に対する哲学だと思うので人の行動に対して批判をするということではありませんが、私はその運営側のお金の稼ぎ方に対して意地がちょっと悪いなぁと思うのです。

また、そのようなゲームをやっていくにつれ、無料の感覚がおかしくなってきます。つまり、「価値あるものにお金を払う」ということを忘れ「無料であることが普通」にしまうのです。よくある「詫び石をよこせ」などの騒動がこれに当たります。そういう感覚があると、「なんでここは高いの?あっちはもっと安かったのに!」とモノの価値を見ることを忘れ、価格の安さでしか物事を見ないという視野狭窄の状況になってしまうのです。

もっと書こうと思ったけど

もっと書こうと思ったのですが、もう1700まで来てしまったのでそろそろ〆ましょうか。次は、お金がないとやっぱり物事の見方って変わるから今の社会がそうなるのもしょうがないのかなぁ、だとか私が「価値あるものにお金を払う」感覚を身に着けるために心がけていることを書いたりしようと思います。読んでいただきありがとうございました。またよろしくお願いします。