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過ぎ行く時と、終わりの話

巷で話題の感染症が話題になり始めたのは2020年の2月中旬だったと記憶しています。ちょうどその時、ずっと追いかけている作品のライブがあって、これはインフルエンザなのかそうじゃないのか、そもそも開催できるのか、できたとして大丈夫なのか、と友人らと話していたからです。私が参加するライブは開催されましたが次の週からは自粛が相次ぎ、そこから長い長い期間「エンターテイメントは不要不急」とされました。未曽有の事態、誰もその先の未来が予測できていなかったので、まあ仕方ないか、と思っていました。

時を同じくして、不要不急の外出はするなというお達しも出されました。感染を防ぐためだし、これもまあ仕方ないか、と思いました。私は親元を離れて暮らしている身、故郷に弟はいますが両親も弟もいわゆる最前線で働く人間だったので、そうではない私が邪魔するべきではないとも思いました。あとから聞いた話、両親にも弟にも、現住所市内以外への外出禁止、もしどうしても市外の人と会わなければいけない場合にはいつ、どこで、なんの用で、どのように面会したのかを届け出なければいけないとなっていたそうなので、どちらにしろ会うことはかなわなかったのです。

そんな事情で故郷の地を最後に踏んだのは2020年の年始が最後になりました。親元を離れてからも最低でも年に2回は故郷に帰っていたので、2年半以上帰っていないのはなんだか不思議な気持ちです。特に親戚づきあいでは、父方も同じく2年半、母方に至っては3年以上会っていませんでした。

文明の利器のおかげで、お金をかけなくても顔をみて話すことはできます。でも、時間は止まりません。
この数年の間に、だいぶの親戚が亡くなったと聞きました。感染症とは関係ない理由ですが、関係ないからこそ、この時勢じゃなければ最後に顔を見れたのに、と聞きました。
また、半年ほど前、故郷でだいぶお世話になっていた方が亡くなったとも聞きました。理由はわからないけれど、まだ働き盛りの方です。病気をしていたとは聞いていないので、おそらくご家族にとっても突然のことだったのではと思います。家族全員面識のある方で、こちらもこの時勢でなければ式に参列させてもらっただろうに、それが叶わなかったと聞きました。

感染症がすこし下火になっても、天災のために帰省が叶わないことも何度もありました。今なら!と思う時に警報が出て、来たはいいけど帰れないなんてことになったら大変だから、と泣く泣く見送ったこともありました。

そんな日々が続き、なんとか「エンターテイメントは不要不急」でもなくなってきて、各地で様々なイベントが対策の元開催されるようになり、2年半ぶりに母親に会いました。いわゆる母親の「推し」に会うために、案内役としてついていくのが現況以前からの恒例イベントになっていました。そして、この時勢になってから初めて、そのイベントが開催されることになったのです。

母親を迎えに駅に出て、遠くからやってくる母親を見て、私は愕然としました。
この2年半で、見ていなかった2年半で、老いたことを実感してしまったからです。
画面越しには会っていたはず、と思いました。それでも、画面ではわからなかった親の「老い」を、痛いほど感じてしまったのです。
別に、歩き方がゆっくりになったとか、腰が曲がったとか、そんなことはありません。認知も変わりはありません。
それでも、例えば首元がちょっとたゆんだなあとか、髪の毛が前よりも白くなったなあとか、そういう端々に感じる「老い」に私は怖くなりました。

もしかしたら、身近な人で今生の別れになっている人が案外多いのかもしれない。

今回父親は留守番役だったので、父親の顔はみていませんが、母親がこうなのだからきっと父親も同じなのだろうと思いました。電話で話は聞いているけれど、それだけでは分からないことがたくさんあるのだろうと思いました。
祖父母はきっと、もっとそうなのだろうと思います。話を聞くだけで、大分と認知の方にも難が出てきているように感じます。まだ記憶と言葉ははっきりしているけれど、果たして私を私とわかる間にもう一度会うことができるのか、それはわかりません。
心のどこかで、2年半前に今生の別れになっているのだろう、と思ってしまっている自分がいます。そうではないと願いたいのだけれど。

今回、そんな中で本当に久しぶりに会うことが叶った親戚がいました。たまたま私たちがいた場所の近くにいて、たまたま都合がついて、ほんの2時間程度でしたが顔を合わせることができたのです。そして、その親戚の家にある母方の祖父母の写真を拝むことができました。遺影もそうですが、私が生まれる前の、両親の結婚式で幸せそうにしている祖父母と、両親の写真を見ることができました。
話の内容はほとんど母方の地元の話だったので、私はふんふん頷いているだけでしたが、別れの時間が迫る頃に終活の話がでて、親戚と母があれやこれや話しているのを横で聞いて、両親も親戚も、終わりについてを考える歳になったのだと、当たりまえのことを一人で考えていました。

本当であればそのまま母と2年半ぶりの故郷の地を踏む予定でした。
しかしながら、ここ最近の豪雨被害により、故郷と私が今住む場所をつなぐ交通手段が断たれてしまっていて、帰路のことを考えると見送った方がいいだろうという父親の判断で、今回も帰省が叶わないまま私は自宅に戻ってきました。
おそらく次のタイミングは今年の年末年始になるはずです。
その時に少しでも時勢が落ち着いているのか、天候は落ち着いているのか、そして何より、この時勢になる前のあの時が今生の別れにならずに無事に再会できるのか、それは現時点では全く分からないことですが、すべての条件が揃って、近いうちに面と向かって会話ができる日が来ることを願わずにはいられません。

少し前、父親から連絡がありました。
母方のほとんどの親戚が眠るお寺に行ってきたそう。
墓地一帯の写真と共に一言。
「遠隔なむなむしてください」

父親のありがたいお言葉に従い、今年のお盆は遠隔なむなむで先祖供養に励みたいと思います。
来年は何の心配もなく、直接なむなむできるといいのだけれど。

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