無邪気さの暴力

10代って、中学生って無邪気ですよね。私は時にこの無邪気さは人をも殺せると思います。否 私は殺されました。過去に1度。

全員がそうだとは言いません。けれど確かに私は塾講師として働く上で感じています。幼さからくる無知も 暴力性も 彼ら特有のものなのではないかと。

具体的な例を紹介しましょうか
私は今髪色は青で 2次元に推しがいます。それを隠しては居ないしむしろ誇っています。だからわたしは生徒に「なんで青なん?」って聞かれたら割と堂々と「推しカラー!」って答えてます。ただ 1人の生徒はそれを笑いました。そしてこう言いました。「先生の推しって2次元でしょ?」私の答えはこうです。「うん!そうだよ!」

けど私は次の質問には答えませんでした。
「先生の推しの名前は?」

一線を引く権利は大人にだってあるんですよ。わたしは自分の身を守るために 咄嗟に秘密を作りました。

怒ることも出来ました。人の趣味を怒るのは悪い事だと伝えることも出来ました。けどあの場で優先すべきことは私個人の感情ではなく、私は「大人」で彼女たちは「生徒」であることです。この場合大人として怒る必要があるのは学校の先生であってアルバイトの塾講師ではありませんからね。

大人になるってことはきっとこうやって折り合いをつけていくことでしょう。笑われても受け入れることを大人になると言うのでしょう。

私が最初に思ったことはたった一つ。
「まだ怒れたんだ」ということです。
虐められて鬱になって休学して そんなエネルギーとうの昔になくしたと思っていたのにわたしは件の生徒に笑われた時、確かに怒りを感じました。安心しました。怒ることなんか滅多になく立っていい。けれど大事なのは自分の大切な何かが傷つけられた時にきちんと「不快だ」と伝えれる力なのでは無いかと思います。そして世間はそれを怒りと呼ぶのではないかと思います。

今回私は伝えられませんでした。けれどそれを間違いだとは思っていません。「大人」としての対応ならあれがベストだったと思っています。けれどこの先を生きていく上で、自分の中の怒りを受け流すだけでなく適切な形で相手に伝える能力を身につけていけたらと思います。

すこしずつ

すこしずつ

成長しながら生きていきます。

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