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選んだ道を正解にする、で本当にいいの?

よく「後悔しない生き方」の名言として
「選んだ道を正解にしろ」って聞きますが、
そもそも、
本当にその考えでいいのでしょうか。

屁理屈みたいな話かもしれませんが、
例えば宗教にどっぷりはまってしまった人がいて。

第三者視点、
「あの人は確実に騙されている」
と揶揄したしても、
本人がそれを信じてやまない。
聞く耳すら持たない。
「私は今が幸せなの」だとか、
「これしかないの」と仰っていたら、
それは「選んだ道を正解にする」
の事例の一つだと思います。

たしかにこのことばは、
後悔しないためのこころの救済措置、
腹をくくったり、覚悟を決めるときの
一時的な自己啓発としては良いかもしれません。

その道その道でベストを尽くすことは大事ですが、
この言葉を自分に刷り込ませてしまうのは
僕個人的な意見だと「危ない」と感じます。

かくいう僕も20歳から3年間、
「俺が選択した道を正解にするんや」
と息巻いていました。

当時は「この道で本当にいいのかな」と思ってても、
それをフル無視して仕事に打ち込んでいました。

スキルや知見はついたから
結果的に良かったかもしれないですが
メンタルの最大HPが減ったり、
以前より疲れるなどの代償も背負いました。

そこから今に至って色々考えて、
結局どれが正解か不正解かなんてものは
存在してなくて、
でも一度立ち止まって葛藤したおかげで、
人としてちょっと成長したかなと
感じるようになりました。

自分が自分に正解と言い聞かせていても、
それが根本的に間違っていたり、
他の選択肢を潰すようなものになりかねない、
そんな迷言のようにも捉えられます。

もっと言うと、
「自分の人生に間違いを示さないための正当化」
にも捉えられます。

失敗を失敗と気づかない人は、
世間の感覚からどんどん乖離してしまいます。

人生なんて
迷って、間違えて、衝突して、
また失敗して、悔やんで、苦しんで、
それでももがいて生きて、
その連続で人として成長するものだと思います。

その大事な葛藤を抑え込んで
一本道だけを見据えている人は、
果たしてそれが自分の人生にとって有益なのか、
どうなのでしょうか。

ここで「はい、有益です」と即答できないなら、
一度立ち止まってみても良いと思います。

立ち止まって、360度見渡して、
どの道に進んでみたいか、
めちゃくちゃ迷っていいんです。

人生に正解の道なんてないんだから、
そんな中で選んだ道を正解にするなんて、
無理して思わなくていいです。

目の前のことに打ち込んで、
ときには休んで、
いらんことを考えてしまって、
将来や人生に対して不安を覚えて、
またいらんことを考えて、
ときにはめっちゃ休んで、
そんなこんなで勝手に成長しています。

僕も今の道で本当にいいのか、
と思わず考えてしまうことはあります。
そんなときは
とりあえず今生きていることに集中して、
ゆっくり考えるようにしています。


どうか自分の人生を「判断」しないで。

人生楽しんだもん勝ち、
なんて言うつもりはない。

だけど苦しみのあとに幸せがやってくるのが
正しい順序だと思っています。

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