見出し画像

非日常の1ヶ月日記【序章】〜未練タラタラ女の末路〜

8月末から9月末まで1ヶ月以上演劇のために東京滞在していたわけだが、9月29日、大阪に帰り、実家に帰り、何もかもなかったかのように落ち着いた空間で、不思議な気分。


先輩と、彼氏と、友達と離れて寂しい。今まで取り組んで来た演劇がラストを迎えて、胸に穴がぽっかり空いたように寂しい。
具体的に言うと、大きくこの2つの寂しいを今回味わった。

今までも寂しいって気持ちになったことは沢山あって、小(中)高卒業式とか、卒部式とか、仲のいい友達が引っ越した時とか、毎公演千秋楽を迎えた時とか、、、

でも今回は1番寂しいを感じている気がする。
それはなんでなんだろうって、ご飯を食べながら、私のベッドでゴロゴロしながら、先輩のnote読みながら考えていたとき、あ、これかもって思ったのが、


「非日常」から「日常」に戻った寂しさ。


これが1番苦しくて、1番寂しいなって感じてる。
確かに1ヶ月離れていたはずだし、濃密すぎる時間を過ごしていたのに、それが全くなかったかのように、18年と3ヶ月の今まで過ごしてきた「日常」が、スイッチも扉も、挨拶することも無くやってきた。
でもそれが何の違和感もなくて、逆にこの1ヶ月何してたっけ、ってなるくらい自然に私の中に流れ込んできた。

昔の記憶って、こんなこともあったなぁの事実として捉えられて、思い返すときにどんどん臨場感みたいなものが薄らいでいくような感覚がするんだけど、それがもう起きているような…
この1ヶ月は異質なものだったという事実が先行して、今まで流れていた「日常」の流れの中に、ひとつのピースとして異質な1ヶ月が埋め込まれてるような感じ…

何が言いたいかというと、もうただの思い出になってる気がする。
初めて白いたんぽぽの稽古に参加したり、先輩たちと真鶴行ったりご飯食べたり、彼氏と花火したり、映画観に行ったり、カラオケ行ったり、散歩したり、初ダーツしたり(ここの語りしたら一定数喜んで見てくれる人いるけど、正直普通すぎて面白くないからしません。)友達と初めてオールしたり、、、

一つ一つあげるとキリがないくらい、濃密すぎるエピソードを持ってるのに、すでにそれを「異質な1ヶ月」という塊としてみてしまったから、「非日常」だった思い出となってしまって、「日常」に帰ってきた時、別にこの1ヶ月がなくても成り立つ「日常」に「非日常」を否定(ちょっと言い過ぎだけど)されているような気分になって、寂しくて苦しいんだなって思った。

おじいちゃんおばあちゃんって、昔の思い出をしつこいわってくらい何度も何度も語りはるけど、正直今私もそれしたい。
でも本当に異質な生活をしていたから、「日常」の居心地の良さが余計強く出ていて、まだこの1ヶ月をクローズアップして感傷に浸っていたいと思ってる私を他所に、
元彼(後に今彼となる)の「日常」君が「そろそろ出てきていいですか?いや、ってかお前実家帰ったんだし、俺の出番だよね?」って壁に隠れてたのに、チラチラこっち見てくる。
こいつを無視して今はまだ、今彼(後に元彼となる)「非日常」君とイチャイチャしたいんよ。


で結局何が言いたいかって、noteを書こうってこと。
この1ヶ月もちゃんと日記書いてはいたけど、やっぱり忙しかったりで書きたいこと書けてなかったし、「非日常」君とイチャイチャするにはもってこいのものがnoteだと思ったのでね。
先輩にも喜んで貰えるし一石二鳥だ。やった。


という、この1ヶ月間をnoteに書こうっていうただの決意表明でした。何が序章だ。
気長に待ってもらえると嬉しい。この1ヶ月は擦り続ける気でいる。これが元彼に未練タラタラ女の末路。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?