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日記とはいえない何か

10/17  
 当たり前だと思っていたものが実は当たり前じゃないっていうことは多々あって、私も経験してきたし、理解しているつもりではある。「当たり前」というものは大きく分けて2つあると思っていて、全員が同じ量の負担を抱えて成り立つ当たり前と、誰か1人ないし数名が犠牲(その人にとって特に負担になっていなくても)になって成り立つ当たり前。そして前者だけが「当たり前」と呼ばれるべきものなのだと思うけど、後者は犠牲となる部分が隠れていて見えていないから、こちらも「当たり前」に含まれる。また後者の当たり前が「当たり前」ではないと認識できるのは、犠牲になるものと、その当たり前を享受しない第三者だけで、だから当事者がこれは「当たり前」ではないんだということを受け入れるのは難しいんだと思う。それで揉めるのが一連の流れ。

10/23
 
 抽象的な命令って自分得意だし、苦手だなって改めて思う。抽象的な命令っていうのは、○○しなさい、やしてはいけません。みたいな具体的な指示ではなく、その人の裏の意味を汲み取って行動しないといけないような指示。得意だし苦手だなっていうのは、その命令者が誰なのかってこと。それがもし大人、例えば先生や先輩、親なら、正直私は期待に添える、超える行動が出来ると思う。具体的に指示貰うより、ちゃんと私はこれ以上できるんですよっていうアピールにもできるから、逆にそういう抽象的な命令でいいかも。とかいいつつ、そういうのに歯向かいたくなるちょっとめんどくさあおᒼᑋªⁿ❤︎もいるからなんとも言えない。
まあそれは置いておいて、さっきの苦手っていうのは、何が苦手ってその命令者が友達とか、対等の関係性からくる命令の時。その時って、裏の意味とかそういうものじゃなくて、「期待」がある。こういう人であって欲しい、理想というか、それって自分の都合のいいキャラを求められてる様な気がして腹が立つし、また私も対抗したくなる。私と接しているのではなく、自分の理想の人に作り上げた私と付き合ってあげよう感。そういう人と絡むつもりもないし、あー、そういう人だったんだね、って自分から離れるからいいけど、そういう押しつけに触れると、とっても気分が沈むな。


10/25
 どんな物事にも最適解ってある。その最適解を導き出したいけど、自分で見つけられない時、自分よりそれに長けている人に相談に行く。でもその時、私は最適解だけではなくて、他の切り捨てる選択もなんだったのか知りたい人だから、選択肢はどれだけあって、どういう選択肢なのかを知りたいのに、教えてくれない人っている。それを仕事でやってる人とか、自分の能力に自信がある人ほど教えてくれない。(自論だけど)これがいいですよ、こうするべきです。なぜならこういう理由で、、、それは分かった。その選択肢がいいことも十分わかった。で、切り捨てた選択肢はどうして切り捨てられたのかが私は知りたい。でも自分ではどういう選択肢があったのか分からないず、具体的にこれはなんでダメなんですか?っていう風に聞けないから、切り捨てた選択肢をあげてほしい。そして、それの理由も一つ一つ教えて欲しい。と、モヤモヤする。相手はめんどくさい人だなと思っているだろう。


(東京滞在中の話)
23時頃、最寄駅に着くと多分インド人?のおじさんがインドカレー屋さんのクーポン券を配っている。初めはどうせ行かないし、もらったところでただの紙切れになるからって受け取ってなかったけど、最近は毎日受け取るようにしている。1回くらい行こうかなと思っても、お店は23時半閉めだから入れないし、かといって別日に行きたいと思う感じでもないし、、と思いながら何十枚も使えない紙切れがカバンの奥底に眠っている状況になった。
そんな意味もない(結局意味はあるけど)クーポンを受け取ろうと思い始めたのはおじさんと出会って3、4回目の時で、1、2回断っている時は何も思わなかったけど、周りの学生がイヤホン付けてガン無視していく姿や、グループで喋りながら歩いていて、クーポンを配る手に気付かず、ちょっと悲しげな顔をするおじさんを見ていると、自分が受け取るか受け取らないかの決断を迫られている時、咄嗟に受け取ってしまっていた。今までも私が受け取らなかった時、こんな顔してたのかな。自分が貰う時は顔見てなかったから分からない。で、それからというものその人が立ってる時毎度毎度貰ってしまうようになって、初めに戻る。でもその貰う時ニコッとしてくれる顔好きだった。で、次に問題が出てきた。こんなにクーポン貰っているのにお店に行かないのは偽善なのではないのか。そう思い始めた頃には大阪に帰ってきてたので、大阪のカレー屋さんに行きました。(全く系列店じゃないカレー屋)



夢日記
色んな理由であまり付けない方がいいって言われてるけど、私は夢から物語の題材を見つけることが多いからやっぱり書きたくなってしまう。それをすぐに物語にして、完成されたものとして出せば夢日記では無いからいいのかもしれないけど、今自分に作品としてしっかり文章におこせるほど時間がないから、メモに残しておきたい。
というか、メモしているんだが、そのメモが箇条書きであとから読み返したら意味わからないものが多々。もったいない。いいと思ってメモに残してるのに、あとから読んで分からないなら意味ないじゃん。ある程度文章にしておこうと誓った。今週は1個だけ。あとはバイオレンスすぎて苦しかった。何回私は闘わないといけないんだろう。夢くらい穏やかに過ごさせて欲しい。


相合傘のいい所は、お互いがお互いのことを思って両者の左肩と右肩が濡れている、という気遣い。で、それを確認するまでが相合傘だと考えている。もし途中でどちらかが濡れることを決意して、先に家に帰るなり目的地に行くなり、傘から出ていってしまうと、その人的にはもう1人が1本の傘に入って濡れないようにという気遣いなのかもしれないけれど、お互いが片方の肩を濡らしているっていう事実を見ることができないから寂しいし、私の理論ではそれは相合傘した事にならない。

相合傘を語っておきながら、私はあまり好きでは無い。

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