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【つの版】ウマと人類史08・塞土習俗

 ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。

 地理に続いて、ヘロドトスはスキタイの習俗について比較的詳しく調査・報告しています。ペルシアやギリシアからは野蛮人呼ばわりされますが、彼らには彼らなりの生き方があり、その土地に適応しています。ヘロドトスも小アジアというギリシア本土ではない地域出身なので、異郷の風習を劣っているとも誤っているとも言いません。単に「文化が違う」だけです。

◆スキ◆

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住居飲食

 スキティアの中核をなす王族・遊牧スキタイは、騎馬遊牧民です。彼らは都市や村落に定住せず、ウマや馬車に乗って動き、家/天幕(ゲル、パオ、ユルト)も馬車に積んで運び、家畜とともに季節ごとに移動(遊牧)します。敵が来れば家ごと馬車で逃げてしまい、捕捉することは困難です。

 家畜にはウマ、ヒツジ、ウシがいますが、ロバ、ラバ、ブタはおらず、飼育することもありません。ロバはラクダ同様に南の暑い沙漠地帯が原産ですし、ラバはロバとウマをかけ合わせたものです。ブタは乾燥地を好まず遊牧に向いておらず、アラビア人もモンゴル人もブタは飼いません。宗教的な理由というより、生業として遊牧を行う場合の自然な選択です。

 彼らが常飲し、食物とするのが乳製品で、特にウマの乳を好みます。搾乳の時は牝馬の陰部に竪笛めいた骨の管を挿入し、口で吹いて膨らませます。すると自然と乳房が下がってくるので、別の者が搾乳を行うのです。乳は深い木桶に流し込まれ、揺り動かして上澄みと沈殿物に分離させます。上澄みはクリームやバター、馬乳酒の原料となり、沈殿物はチーズにします。ギリシア人から葡萄酒を輸入して飲んでもいますが、基本は馬乳酒です。

 家畜を屠る時は、血を流さないようにします。まず家畜は前脚を縛られ、屠る者はその背後に立ち、縛った縄を引っ張って転がします。そして犠牲に捧げる神の名を唱え、家畜の首に紐を巻き付け、棒をそれに挟んでぐるぐる回し、絞め殺すのです。ギリシア人のように火を燃やしたり、お祓いとかお神酒を注いだりはしません。絞め殺した家畜は皮を剥ぎ、肉を骨から外し、大鍋に肉を放り込んで水を入れ、骨を薪として煮ます。スキティアには草や燃料となる家畜の糞はありますが、木材には乏しいのです。もし鍋が手元になければ、屠った家畜の胃袋に肉を詰め込んで水を注ぎ、同じように骨を薪として煮ます。肉が煮えると、肉と内臓の一部を御初穂として取り、前方へ投げて神に捧げ、後は人間が食べます。ウマも食用にします。

祭祀卜占

 スキタイには多くの神々がおり、最も篤く祀るのは竈の女神タビティで、ギリシア神話のヘスティアに相当します。竈は家族の最も身近にあり、火は闇や寒さから守ってくれます。次いで神々の父なる天空神パパイオス(ゼウスないしウラノス)、その妻で大地の女神アピア(ガイア)、天の女神アルギンパサ(アフロディテ・ウラニア)、海神タギマサダス(ポセイドン)、託宣の神ゴイトシュロス(アポロン)などがいます。王族スキタイは海外交易で富を蓄えたため海神を祀り、占い師は天の女神に神託を求めます。

 彼らは神殿や御神体を持ちませんが、軍神アレスに相当する神に対しては行政区域ごとに柴木を積み上げた丘を築いて神殿とし、頂に両刃の短剣(アキナケス)を突き立てて御神体としました。この神には家畜の他に人間が生贄として捧げられ、敵の捕虜のうち100人に1人を選び、頭にお神酒を振りかけて聖別します。それから刃物で喉を掻っ切り、血液を鉢に受けて御神体の剣に注ぎます。剣の下、丘の麓では屠られた男たちの右肩が切り離され、空中に放り投げられてから、その他の犠牲の行事を行うといいます。

 宗教や祭儀に関連して、誓約の儀式についてです。スキタイが誰かと誓約する時は、土製の大盃に酒を注ぎ、体に小さな傷をつけ、お互いの血を酒に混ぜます。それから短剣・矢・戦斧・投槍を大盃の中に浸し、長い祈願の文句を唱え、誓約を交わす者たちと、随行した者の主だった者たちが大盃の中の酒を飲みます。最も重大な誓言をする時は、王室の竈にかけて誓います。

 また、スキティアには多くの占い師がおり、柳の枝を筮竹のようにまとめて束とし、並べたり束ねたりしながら呪文を唱えるといいます。エナレスという聖職者たちは天の女神から授かった占いを行いますが、これはセイヨウシナノキ(リンデンバウム)の樹皮を指に巻き付けたりほどいたりしながら行うものです。

 スキタイの王が病気になると、国内から最も有名な3人の占い師を呼び寄せ、原因を占わせます。大概は「この国の誰某が王室の竈にかけて立てた誓いを破ったからです」と答えるので、その人物がすぐに逮捕され、王の前に引っ立てられます。彼が罪状を聞いて否認すれば、今度は6人の占い師を呼び寄せて占わせます。もし罪ありとされれば、彼はただちに首を刎ねられ、財産は最初の占い師たちのものになります。もし6人の占い師が罪なしとすれば、また大勢の占い師を呼んで占わせます。そして大多数の占い師が無実と認めたなら、多数決により最初の3人の占い師は虚偽の占いをした罪で殺されます。彼らを処刑するには、手足を縛り猿ぐつわをし、薪を満載した牛車に載せ、火をつけて焼き殺すのです。

戦事酒盃

 スキティアは数多くの地域(部族)に分かれていますが、年に一度、地域の長が人々を呼び集め、その年に戦場で敵を討ち取った数を報告させます。一人でも討ち取っていれば盃に注がれた酒を飲むことができ、特に多数を討ち取った者には一度に二杯の酒が与えられ、栄誉を讃えられます。そのような武功がなければ酒が与えられず、離れた席に座らせられますが、これはスキタイの男にとって最大の恥辱であり、ゆえに毎年敵と戦うのです。

 遊牧・王族スキタイは勇猛で、戦争を名誉と心得ています。その戦法は、まず弓矢で遠くから射掛け、敵が迫れば撤退し、追ってきたところを包囲殲滅するというもので、騎馬遊牧民の常套手段です。武器には弓矢・刀剣・矛槍などがあり、戦場では最初に殺した敵の血液を飲んで景気をつけ、討ち取った敵兵は首級をとって王のもとへ持参し、それを戦功の証として鹵獲品の分配にあずかります。日本の武士と同じですね。

 獲得した首級は、耳の周りに丸く刃物を入れ、掴んで揺すぶり、皮膚をすっぽり引き剥がします。牛の肋骨で皮膚から肉を削ぎ落とし、手で揉んで柔軟にします(鞣[なめ]す)。すると人の頭部の皮膚でできたハンカチーフとなり、これを自分の乗馬の勒(頭絡)に吊り下げて誇りとします。これを一番多く所有する者が最大の勇士なのです。また、敵の死体の上半身の皮を剥いで上着(ジャケット)にしたり、右腕の皮を爪ごと剥いで矢筒の被いにしたり、全身の皮を剥がして板に貼り伸ばし、旗印として持ち運ぶ者も少なくないといいます。どうも悪趣味ですが、ヘロドトスは「人間の皮は実際分厚くて艶もよく、他のどの皮より白くて光沢がある」と言っています。

 また獲得した首級のうち、最も憎い敵や、身内でありながら敵になったため討ち取った者は、頭蓋骨の眉から上をノコギリで切り離して「髑髏杯」にします。貧しい者は外側に牛の生皮を張るだけですが、金持ちはさらに内側に黄金を張り、大切な来客があると見せびらかして自慢話にします。この風習はイッセドネス、ブルガール、匈奴、高車など中央ユーラシアの遊牧民に広く行われ、ヨーロッパやチャイナでも稀に行われたといいます。

喪儀埋葬

 さて、スキタイが死ぬと喪儀を行います。彼の遺体は車に載せられ、最も近縁の親族がこれとともに故人の知り合いの間を巡ります。友人知人たちはこれを出迎え、遺体の付添人たちを饗応し、遺体にも同じご馳走をお供えします。このようにして40日もの間引き回されてから埋葬されるのです。人が集まって喪儀する文化とは異なりますが、スキティアが寒いとはいえ腐敗しそうですから、臓腑を抜き籾殻を詰めるなどの処置を行ってからでしょう。

 王が崩御すると、これを盛大にした行事になります。まず王族スキタイは服喪の印として耳の一部を切り取り、頭髪を丸く剃り落とし、両腕に切り傷をつけ、額や鼻を掻きむしり、左手を矢で貫くなどして悲しみを表します。「身を切られるように辛い」を実際に表現するわけですが、ユダヤ教や儒教からすると野蛮千万です。王の遺骸は全身に蝋を塗られ、腹を割いて臓腑を取り出し、ひき潰した香草や香料のたぐいをいっぱいに詰めて縫い合わせ、腐敗と悪臭を防ぎます。これを車に載せて運び、スキタイに服属する諸国を経巡らせるのです。諸国の民はみな先と同じように服喪し、随行します。

 こうして属国全てを一周すると、車は王陵の所在地であるゲロイの地へ向かいます。ここはボリュステネス(ドニエプル)川を河口から40日遡上した位置にあり、属国の中では北端にあります。ただ1日36kmとすると1440kmにもなるので、40日は誇張でしょう。ヘルソンからキエフまででも800kmほどです。ともあれ埋葬予定地にはすでに大きな四角い墓穴が掘ってあり、穴の底に絨毯が敷かれ、そこに遺骸を寝かせます。遺骸の両側には槍を突き立て、上に木材を渡し、筵を被せて覆います。また亡き王の側女の一人を絞殺してともに葬り(殉葬)、酌小姓、料理番、馬丁、侍従、取次役、馬、それに様々な財宝や黄金の盃を一緒に葬ります。そして、その場に集まった全員で穴を埋め、巨大な塚(陵、クルガン)を築くのです。実際、スキタイの古墳はドニエプル川流域など各地で発掘されています。

 埋葬から1年経つと、次の儀式を行います。まず亡き王に仕えた忠実な家臣のうち、王と最も親しかったスキタイの青年50人を選び、絞殺します。彼らのために最も優れた馬50頭が選ばれ、同じく絞殺します。これらの遺骸も腹を割いて臓腑を出し、籾殻を詰めて縫い合わせ、王の陵の周囲に騎兵の姿で立ち並ばせます。馬の胴体と人の胴体は杭で貫かれ、背筋や首を伸ばした状態で固定されます。また馬の前後肢の付け根は、車輪を半分に切ったもので固定され、車輪も杭で固定されるのです。人材や軍馬の無駄遣いな気もしますね。のちのチャイナや日本では兵馬俑や埴輪になっていきます。

入浴美容

 殺伐とした話ばかりですので、最後はさっぱりしましょう。喪儀の後には身の穢れを祓うため、頭に油を塗って洗い落としたのち、一種のサウナに入ります。まず三本の棒と毛氈で天幕を作り、中に大きなタライを置き、火で焼いて赤熱した石を入れます。タライに水を張るのではなくて(そうしたサウナもあったかも知れませんが)、この石の上に大麻の種を撒いて煙を出させ、吸引するのです。スキタイはこの「サウナ」でラリって上機嫌になり、大声でうなり立てるといいます。

 またスキタイの女性たちの美容法として、一種の全身パックがあります。糸杉や香木などに水を加えて石臼ですりつぶし、顔と全身に塗りつけます。翌日これを落とすと、芳香が肌に染み込んで清潔かつ艶やかになるといいます。これはまあよさそうですね。なおヘロドトスによると、スキタイでは女性たちは狩猟や戦争に赴かず、家(馬車)の中で家事一切を行うとされますが、実際は結構戦場に赴く女性もいたようです。

◆スキ◆

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 さて、ヘロドトスは紀元前5世紀後半頃に逝去し、彼の調査報告はその頃の状況までで終わっています。その後のスキタイはどうなったのでしょう。

【続く】

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