【つの版】日本刀備忘録30:朝敵討伐
ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。
酒天童子伝説には様々な異本・異説が生じ、鬼退治の場所も山城と丹波の境の老ノ坂ではなく丹後の大江山や、近江と美濃の境の伊吹山とされるようにもなりました。また伊吹山で生まれて比叡山に遷り、最終的に大江山へ来たとか、生国を越後国とする異説もあります。なにゆえこれらの場所が酒天童子と結び付けられたのでしょうか。さらに深堀りしていきましょう。
◆We're Not Gonna◆
◆Take It◆
丹後三鬼
まずは丹波国の北、丹後国(現京都府北部)です。もとは西の但馬国とともに丹波国の一部でしたが、7世紀後半に但馬国が、和銅6年(713年)に丹後国(丹波道後国)が分けられて成立しました。この三国を合わせて「三丹」といい、丹波と丹後を合わせて両丹、丹波南部を南丹(口丹波)、丹波北部を中丹などと呼びます。そして丹波と丹後の国境に連なる峰々を「与謝大山」といい、近世以後は丹波の大枝山と混同されて「大江山」と呼ばれています。
丹後の大江山には酒呑童子退治の伝説もありますが、さらに2つの異なる鬼退治の話が伝わっています。主人公は源頼光ら武士ではなく「麻呂子親王」と「日子坐王」という古代の皇族です。
京都府福知山市大江町河守(旧丹後国加佐郡川守郷)に、高野山真言宗に属する鎌鞍山清園寺という古刹があります。その寺の縁起絵巻は南北朝時代か室町時代初期、酒天童子絵詞と同じ足利義満の時代に作成されたと推定され、麻呂子親王の鬼退治伝説が描かれています。
それによれば、彼は人皇33代・用明天皇の第三皇子で聖徳太子の異母弟にあたり、智勇兼備の人物でした。この頃、河守の三上ヶ嶽に奠胡・迦楼夜叉・槌熊という三鬼がおり、百千の眷属を率いて国中にはびこり、民を苦しめていました。そこで天皇は麻呂子親王を大将軍に任命し、三鬼討伐に派遣します。
親王は岩田・河田・公手・公庄の四勇士と万騎を率い、三上山に向かいました。その途中、丹波国の篠村(亀岡市篠町)を通りかかると、土の下から馬のいななく声が聴こえます。怪しんだ親王が土を掘らせると、地面から龍の如き駿馬が現れたので、親王はこれを乗騎として険阻な道を乗り越えました。それでこの場所を馬堀といい、いななきの里というのです。
さらに進んで三上山に至ると、親王は騎兵に包囲させて鬼を攻め立てましたが、鬼たちは空を飛び風雲や雨を起こし、姿を隠して官軍を翻弄します。そこで親王が薬師如来と皇大神宮に祈願すると、額に鏡をつけた犬が忽然と現れ、跪きました。親王がこの犬を先に立てて進むと、鬼たちは鏡に照らされて妖力を失い、官軍に追い詰められて次々と討伐されました。
残った槌熊が命乞いをすると、親王は「ならばこの地に七堂伽藍を建立するゆえ、一夜のうちに土地を拓け」と命じます。喜んだ槌熊は岩を砕き木を伐採して命令通りに成し遂げますが、野放しにもできないとして竹野(京丹後市竹野)の岩窟に封じ込められました。親王はここに七堂伽藍を建立して薬師如来の像を安置し、これが清園寺のもとになったといいます。同様の縁起譚は舞鶴市の多禰寺など丹波・丹後の複数の寺院に伝わっており、親王のもたらしたのは七仏薬師で、7つの寺に薬師仏像を安置したともいいます。
用明天皇の第三皇子で聖徳太子の異母弟というと、征新羅将軍となった当麻皇子が実在しますが、彼が丹波・丹後で鬼退治をしたという話は史書に見えず、後世の伝説かと思われます。聖徳太子は物部守屋と戦う時に額に四天王像を載せ、黒駒に乗って出陣したといいますし、源頼光は四天王を率いて鬼退治しましたから、それらが混ざったのでしょう。
陸耳御笠
三鬼のうち奠胡は他の寺の縁起では英胡・鱏胡とも記されますが、奠が誤記されて英となり、鱏の字を当てたものでしょう。音からすると天狐、天狗のことでしょうか。迦楼夜叉は「軽足」とも訛伝していますが、仏教の八部衆のうち迦楼羅と夜叉を合わせたものでしょう。最後の槌熊は土熊・土車とも訛伝していますが、いわゆる土蜘蛛にほかなりません。
『丹後国風土記』加佐郡条の残欠によると、人皇10代の崇神天皇の時、由良川の下流に「陸耳御笠」という土蜘蛛が住み着いて悪行を為していました。そこで崇神天皇は弟の日子坐王を派遣して追討させましたが、御笠は「與佐大山(大江山)」に隠れたといいます。麻呂子親王が封じたという槌熊とはこのことでしょうか。
日子坐王は『古事記』にも崇神天皇の異母弟として登場し、『日本書紀』では彦坐王と表記されています。古事記によれば崇神天皇の時に四道将軍の一人として旦波(丹波)国に派遣され、「玖賀耳之御笠」なる者を殺したといいますから、陸耳御笠とはこれでしょう。古事記では土蜘蛛とは表記されていませんし、丹後国風土記では御笠は殺されずに逃げ延びていますが。また日本書紀では彼本人ではなく、息子が「丹波道主」として丹波国に派遣されたといい、御笠については記述がありません。丹後国には加佐郡がありますから、御笠もこの地名に関わるのでしょうか。
ただ、この丹後国風土記の残欠の奥書には「長享年間(1487-89年)に智印という僧侶が(神祇伯・白川伯王家の)資益王から借りたものの写本である」と記されており、8世紀に編纂された風土記に擬して、この頃に作られた偽書と推定されています。おそらくは酒天童子退治の物語を真似て麻呂子親王の鬼退治譚が清園寺の縁起として創作され、さらにこれを真似て古事記にある日子坐王の御笠退治の話を膨らませたのでしょう。
鳴釜神事
また『古事記』によれば、孝霊天皇の皇子・比古伊佐勢理毘古命は弟とともに針間(播磨)と吉備に派遣され、それぞれ大吉備津日子命・若建吉備津日子命と呼ばれたとあります。『日本書紀』では孝霊天皇の曾孫にあたる崇神天皇の時、彦五十狭芹彦命が四道将軍の一人として西道(山陽道)に派遣され、吉備津彦命と呼ばれています。
彼は自身を祭神とする備中国一宮・吉備津神社に伝わる鬼神・温羅退治の主人公として有名です。伝承によれば、温羅は百済の王子でしたが海を渡って吉備に住み着き、山の上に城(鬼ノ城)を築いて好き勝手に振る舞い、大和朝廷に従いませんでした。そこで崇神天皇は大叔父にあたる彦五十狭芹彦命を将軍として吉備へ派遣し、温羅を討伐させました。
彼は現在の吉備津神社の地に本陣を儲け、鬼ノ城にいる温羅をめがけて矢を射掛けましたが、温羅は巨岩を投げて撃墜します。命が矢を射るごとに温羅は岩で撃墜したため、命は弓に2本の矢をつがえて同時に射ます。すると1本は岩に撃墜されたものの、もう1本が温羅の左目を射抜き、悶絶した温羅は雉に変化して逃げ出します。命は鷹に化けて追跡し、温羅が鯉に化けて川へ逃げ込むと、命は鵜に変化して追い詰めます。やむなく温羅は降参し、自ら名乗っていた「吉備冠者(吉備の第一人者)」の号を命に献上したので、これより彼は吉備の支配者として吉備津彦命と呼ばれるようになりました。
温羅は命乞いしたものの、生かしておくのも危険ゆえ斬首され、その首は晒しものとされます。しかしその首はなお生きており、時折目を見開いては唸り声をあげたため、命は家来の犬飼武命に命じて犬に首を食らわせ、骨だけにしました。それでも温羅の唸り声は収まらず、命は宮の地中深くに骨を埋めたものの、13年の間鳴り響き続けました。
やがて命の夢の中に温羅が現れ、「我が妻の阿曽媛に釜殿の神饌を炊かせて下されば、ミサキ(使い)として吉凶を告げよう」と述べたので、命がそのようにすると声は鎮まりました。それ以来、吉備津神社では釜の上に蒸籠を置いて米を炊き、その時に鳴る音で吉凶を占う「鳴釜神事」が行われるようになりました。また阿曽郷(岡山県総社市阿曽)からは祝(はふり/神職)の娘が召し出されてこの神事を執り行い、温羅の霊は釜を鳴らす精霊「丑寅ミサキ」になったといいます。
しかし、この話は古代どころか中世の伝説にも見えず、天正11年(1583年)の『備中吉備津宮勧進帳』に初めて現れます。それ以前にも口伝はあったかも知れませんが、確実な記録としてはこれが最古で、温羅が百済の王子だとか鳴釜神事の精霊「丑寅ミサキ」のことだとかされたのも江戸時代からのようです。また、これが原型とも言われる「桃太郎」の伝承も、せいぜい室町時代末期か江戸時代までしか遡れません。
鳥取県伯耆郡溝口の楽楽福神社には、崇神天皇の曽祖父で吉備津彦命の父の孝霊天皇がこの地で鬼退治をした伝説があります。天皇は鬼住山の南の笹苞山に陣を張り、笹巻き団子を3つ置いて鬼を誘き寄せ、射殺しました。次に笹の葉を刈り取って火を放ち、風に乗せて鬼住山へ飛ばしたので、慌てた鬼は逃げ出して降伏し、蟹のように這いつくばって命乞いをしました。それでこの地を「笹吹く/楽楽福」と呼ぶのだといいます。火と風を用いることからたたら製鉄とかと関係がありそうな気がしますが、たぶん吉備津彦や桃太郎の鬼退治をもとに作られた話でしょう。
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酒天童子退治の伝説に続いて、こうした古代の皇族による鬼退治の伝説が生じたのは、武家政権に対する朝廷・皇族の反発を反映しているのかも知れません。神武天皇も日本武尊も、高天原の天津神の加護があったとはいえ、武力によってまつろわぬ賊徒や土蜘蛛を討伐し、地上に秩序をもたらしたとされます。南朝の元老であった北畠親房は『神皇正統記』を著して朝廷の正統性を主張していますし、その支援者である伊勢外宮の神官・度会家行は伊勢神道を創始して神国思想を喧伝しています。
武家も公家も天子・朝廷に従う者であるからには、賊徒や鬼を退治するのは私利私欲のためではなく、天子・朝廷・国家のためという大義名分が必要となるのです。これら正統な秩序に逆らう者は悪党・逆賊・朝敵であり、文字通り人倫に背く者、人でなしの「鬼」と位置づけられていきます。
◆I Wanna◆
◆Rock◆
【続く】
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