【つの版】ユダヤの謎13・善悪二元
ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。
ユダヤ教やキリスト教、イスラム教に共通する歴史観として、世界には始まりと終わりがあり、世の終わりには災害や戦争が起きて世界が滅び、善人は天国へ、悪人は地獄へ割り振られるという「最後の審判」があります。いわゆる終末論の一種ですが、仏教やヒンドゥー教、アステカ神話での世界の終末が巨大なサイクルで繰り返されるのに対し、これらの宗教では終末は一回限りです。こうした思想の起源はゾロアスター教に遡ります。
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祆教起源
ゾロアスター教は、古代にイラン高原で発祥した宗教です。開祖はザラスシュトラ(Zarathustra「ラクダを扱う者」)といい、ギリシア語でゾロアストレス、英語で訛ってゾロアスターと呼びます。最高神として善神アフラ・マズダー(叡智の主)を信仰することから、彼ら自身はマズダー教(Mazda yasna,Mazdesn)と呼びます。また火を尊崇することからチャイナでは拝火教といい、また天神を祀るとして祆(けん)教と呼ばれます。
ザラスシュトラがいつどこで生まれ活動したかは論争があります。ただ聖典『アヴェスター』に用いられる言語(アヴェスター語)や地名の研究から、紀元前1000年以前のイラン高原東部(ホラーサーン)、アフガニスタン付近か中央アジアとも推測されています。伝承によれば、彼はアーリヤ人の祭司(ザオタラ)階級のスピターマ家の出身であり、スピターマ村に生まれ育ちました。祭司としての修行を積んで各地を放浪した後、30歳の時にアフラ・マズダーの啓示を受け、40歳にして布教を開始したといいます。
アーリヤ人は中央アジアからイラン高原に到来した印欧語族話者の一派で、インドへ向かったインド・アーリヤ人、中央アジアに残ったサカ族(スキタイ)と言語・文化的に近い集団です。彼らは森羅万象や各種概念を神格化した多数の神々を崇めており、神々は天空(ディヤウス)を語源とするデーヴァ(ダエーワ)、生命力(アンス)を語源とするアスラ(アフラ)、幸運を意味するバガ(ボグ)などと呼ばれました。
アフラに属する神々の中には、誓約の神ヴァルナ(ウォウルナ)、契約の神ミスラがおり、誓約や契約を破る者を処罰する峻厳な神々とされました。彼らの上位にある存在としてマズダー(叡智)が置かれましたが、マイナーな神だったようです。しかしザラスシュトラは「これぞ至高の善神である」と祀り上げ、その下に七柱の抽象的な神々アムシャ・スプンタ(不滅の聖性)を配置し、独自の神話体系を作り上げました。
善悪二元
古代アーリヤ人の宗教には、絶対的な善悪規準は(祭司や共同体に逆らうことを除けば)存在せず、戦士階級は軍神インドラを崇めて英雄的な戦いや略奪に明け暮れ、貧しい庶民を踏み躙っていました。ザラスシュトラはこれを改革するため、厳しい善悪の倫理に基づく教義を作り上げ(啓示を受け)、正義と秩序に基づく善なる社会を建設しようとしたのです。理想は大したものですが、どのような教義でしょうか。
彼によれば、最初に2つの霊(マンユ、意志)が存在しました。両者は何者にも創造されず、互いに無関係でした。一方は正義/善(アシャ)を選び、他方は虚偽/悪(ドゥルグ)を選んだため、前者はスプンタ・マンユ(聖霊)、後者はアンラ・マンユ(破壊霊、悪神)となりました。また前者は創造主アフラ・マズダーの顕現とされます。両者は六柱の善悪の神々を創造し、その性質上相容れることがないため、互いに争い始めました。
聖霊は悪神と戦うため、卵の殻のような宇宙(天空)を創造し、その中に水・大地・植物・動物・人間・火を創造しました。悪神は悪魔を率いて宇宙卵に襲いかかり、一度は撃退されたものの、二度目は宇宙卵の底に穴を開けて侵入することに成功します。彼らは水中を駆け上がって苦い海水に変え、大地を沙漠とし、闇夜・冬・害虫・害獣・疫病・煙・死をもたらして原初の善なる世界を破壊します。正真正銘「諸悪の根源」です。
しかし善神たちは死んだ植物・動物・人間から新たな種子を創造して増え広がらせ、悪神たちを洪水によって宇宙卵の底(地獄・海底)へ封印します。ただ悪神らの残した影響は宇宙卵の中身を大きく歪ませ、善と悪が混在して互いに争うようになりました。このため人類がこの世に生まれてなすべきことは、自分は善神の被造物であると自覚し、悪の勢力と戦って善の勢力を守り増やすことです。また個人の死は免れられませんが、子孫を増やすことで善の勢力を増大させられますし、死後は霊魂が審判を受ける時です。
霊魂は死ぬと肉体を離れ、(エジプトめいて)善悪を正義の天秤で測られたのち、霊的楽園に通じる「選別の橋」を渡らされます。生前に善行が多ければ橋は広々としており、自らの意識(ダエーナー)が美少女の姿で現れて楽園へ導きますが、悪行が多ければ橋は剃刀の刃ほどに狭まり、醜悪な魔女が現れて地獄へ引きずり落とします。善悪が均衡していれば喜びも悲しみもない灰色の混合世界(ミスワン・ガートゥ)へ送られます。
善行とは、身口意を善に保つことです。すなわち善神を心から尊崇し、嘘を吐かず、善き言動をし、早寝早起きし、1日5回神を礼拝し、子供を産み育てて人生の喜びを謳歌することです。火や水などの自然は清浄に保ち、樹木や家畜など有用な生物は虐待してはなりませんが(敬意を払って殺し食べるのはOK)、蛇や蛙や昆虫など邪悪な生物は見つけ次第殺さねばなりません。死体は最も穢れた存在ですから火葬などもってのほかで、土葬や水葬も大地や水を穢すからだめです。乾いた石で大地から離し、野犬や猛禽に肉を与え(鳥葬)、太陽の光で遺骨を浄化した後、壺に入れて洞窟などに納めます。
やがて善神による「最後の審判」が開始されます。まず全ての死者の遺骨が接ぎ合わされ、霊魂と肉体を纏わされて物質世界に復活します。すると天空から隕石が落下し、山々は火を噴き、熔けた金属(熔岩)が川となって流れます。これは善人には程よく暖かい牛乳のように感じられますが、邪悪な者は燃え尽きて消滅します。金属の川は大地を貫いて地獄に流れ込み、悪神らをも焼き尽くし、悪は完全に消滅します。こうして世界の更新がなされ、善悪は永遠に分離し、光り輝く理想世界が回復されて、万物は平和と安楽を永遠に享受する…というのです。
これはアーリヤ人の間で行われていた神明裁判を神話的スケールに拡大したものでしょう。日本でも「熱湯に手を入れて無傷なら無罪」とする盟神探湯が行われていました。他にも「容疑者を水に沈め、遠くへ射た矢を持ち帰った時まで生きていたら無罪」など無茶な裁判があったそうです。
ザラスシュトラはこのような教義を説いて信者を集めようとしますが、当然迫害され、42歳の時にバクトリアの王ウィシュタースパを帰依させて庇護者としました。しかし70歳の時に異民族の襲撃を受け、バクトリアの王族ともども討ち死にしたと伝えられます。
期待した終末が来る前に教祖が死んでしまいましたが、教団はしぶとく残存します。彼らは「終末は啓示から3000年後、闘争開始から1万2000年後だ」「未来には教祖の子孫であるサオシュヤント(恩恵をもたらす者)が現れ、教えを再び広める」などと説いて教団の維持につとめました。また周辺諸部族との折り合いのため、アーリヤ人の神々の一部を善神に味方するヤザタ(崇拝されるべき者)として取り込みます。さらに一族の血統を守るため、親子や兄弟姉妹間の最近親婚も推奨しました。
こうして数世紀が過ぎましたが、その教義は文字化されず、祭司に口伝で教えられました。やがてイラン高原西部にはメディア王国、ペルシア王国が出現し、前6世紀にオリエント世界を統一するペルシア帝国となりました。
教勢展開
前520年に即位したアケメネス朝の大王ダレイオス1世以後の碑文には「アフラ・マズダー」の名や浮き彫りが見え、この神の恵みによって王になったとか、ダイワ(ダエーワ、悪神)の神殿を破壊してアフラ・マズダーを祀ったとか記されています。しかしザラスシュトラの名は見えません。ヘロドトスがペルシアの宗教を記した文章にもアフラ・マズダーやザラスシュトラは現れませんが、プラトンなどギリシアの哲学者らは教義をいくらか聞き知っており、著書に書き残しています。
ザラスシュトラに帰依したウィシュタースパとダレイオスの父が同名なため同一視する説もありますが、年代的に合いません。メディア王国にはマゴイ(マグ)という祭司部族がありましたが、マズダー教の祭司かどうか判然としません。彼らがマズダー教団と接触して神々や教義の一部を取り入れた可能性はあります。またバビロニア(カルデア)の宗教や占星術もゾロアスターと結び付けられ、ミスラや女神アナーヒターなどわかりやすい神々は各地の神々と習合して偶像化されていきます。
アレクサンドロス大王の遠征でペルシア帝国が滅亡すると、ゾロアスター教(マズダー教)も略奪や破壊、放火、祭司の殺戮など大打撃を受けました。後世の伝説では、アレクサンドロスは悪神の化身であり、この時に聖典や知識の多くが失われ、世界中に散逸したといいます。
バビロン捕囚からペルシアによって解放されたユダヤ人は、これらペルシアの宗教の影響を多大に受けています。天使と悪魔、救世主、善悪の闘争、最後の審判と善なる選民の勝利といった教義は、「正義の神が悪の王国(エジプトやバビロン)を滅ぼしイスラエルを救う」という教義と容易に結びつきました。ペルシア王キュロスがメシアと讃えられたぐらいですから、彼らにとってペルシアは異国とはいえ「神の王国」に近かったのでしょう。
ただしヤハウェは全知全能の創造主で絶対正義ではありますが、彼に対立し悪をなす神や悪魔は、本来存在しません。異教の偶像は神ではなく、人間が造り出したもので、ヤハウェに敵対するようなパワーを持ちませんし、日月星辰や天地万物はヤハウェの被造物なので敵対できません。それにイザヤ書ではキュロス王に対してこう呼びかけています。
わたしは光をつくり、また暗きを創造し、繁栄をつくり、またわざわいを創造する。わたしは主である、すべてこれらの事をなす者である。(イザヤ書45:7)
光と繁栄だけでなく、闇や災いもヤハウェの被造物だというのです。洪水はともかく疫病や毒蛇を遣わして自分の民をも責め苛む有様は、ザラスシュトラからすれば悪神ですが、古今東西で神々はカジュアルにそういうことをします(天照大御神や大物主神も、自分を祀らせるために疫病を流行らせています)。だいたい全知全能の創造主で唯一神なら、あらゆる災いも神のしわざとした方が辻褄があいます。『ヨブ記』にもそう書かれています。
『ヨブ記』に現れるサタン(敵対者、中傷する者)は神の指示を受けて活動し、人間の(また神の)隠れた悪を暴き出す天使めいた存在です。前2世紀に編纂された『ヨベル書』ではマスティマ(敵意)が悪霊の長とされ、神の命令で汚れ仕事を行う存在とされます。外典『トビト書』には悪霊アスモダイ(アスモデウス)が登場しますが、彼は『アヴェスター』に見える悪魔(ダエーワ)のアエーシュマに由来します。『エノク書』などでは、創世記に見える洪水以前に堕落した神の子ら「見張りの天使」が悪魔の起源であるとし、アザゼル、シェムハザ、ベリアルなどの存在が語られています。彼らは闇の勢力(反ユダヤの民)に味方しますが、神によってそう創られたに過ぎず、最終的には神に従う者が勝利すると説かれました。こうした悪魔論はダニエル書などと共にマカバイ戦争以後に発展したようです。
ヘレニズム時代からローマ・パルティア時代にかけて、文化の混淆はさらに進み、多種多様な文化集団が互いに影響を与え合いました。旧来の部族や国家が滅び、奴隷や市民として都市生活に投げ出された人々は、心の安定や救済、実利を求めて様々な新興宗教の団体に所属します。ギリシア・ローマ・オリエントなどの神々が雑多に崇められ習合し、新たな神や自称救世主も次々に生まれました。キリスト教もこうした時代に誕生したのです。
キリスト教が成立する前、シリアやキリキア、小アジアにはミトラ教(ミトラス教)が流行していました。ミトラスはペルシアの神ミスラがギリシア化した姿で、ギリシアの神アポロンと習合し、ゼウス=オルマズド(アフラ・マズダー)に続き世界の主宰者となる新たな神と讃えられました。小アジアのポントス王ミトリダテスが自分をローマに対抗する救世主とするため持ち上げさせたフシもありますが、ポントスが滅んだ後も広くローマ世界に伝わり、キリスト教にも影響を与えています(パウロはキリキア出身)。ユダヤ教の大天使メタトロンもミトラスに起源を持つという説もあります。
福音書に伝えられるイエスの誕生物語には、「東方の三博士(マゴイ)」が星に導かれてやって来て幼子イエスを礼拝したとあります。彼らはカルデアの占星術師とされますが、のちゾロアスター教の神官とみなされ、「彼らの教祖は、占星術によって救世主の出現を予知していた」と考えられました。
東方伝来
イランの東方では、仏教がゾロアスター教と接触しています。クシャーナ朝の王たちはゾロアスター教の神々やブッダ、インドの神々を雑多に崇めていましたし、極楽や地獄、閻魔大王による死後の審判といった要素はゾロアスター教から直接・間接に取り入れられたかも知れません。
特にミスラ=ミトラは仏教においてマイトレーヤ(慈悲深い者)と呼ばれ、音訳して弥勒(ミーロ)と称されました。彼は天界で修行しているブッダの候補者であり、未来に降臨して地上の衆生を救うと信じられ、北魏から明清にかけて反体制派の秘密教団に崇拝されました。まさにメシアです。
唐代にはゾロアスター教(祆教)自体もチャイナに伝来していますが、それ以前にも終末論は伝わっていました。道教の初期経典に『正一天師告趙昇口訣』というものがあり、正一教=天師道=五斗米道の教祖(天師)の張陵が弟子の趙昇に告げた予言を伝えています。そこにはこう書かれています。
天は人類の罪悪を怒り、太上老君(老子が神格化された救世主)を遣わして世界を滅ぼすと決定した。24治(天師道の教会)に属する24万人の種民(選民)だけが生き残るが、その名簿は壬辰・癸巳に締め切られる。甲申年に大洪水があって穢れを洗い流す。甲子年に戦争・疫病・虎狼・毒蛇の災いが降って天下を掃除し、庚午年の末に太平が到来する。その時、死者の魂はもとの肉体に帰り、白骨は再起し、血気はまた流通すること、夜に眠って朝に目覚めるようである。しかし種民の証の九光符を持たない者は再び死に、魂は三官(天地水)の神々に引き渡されて苦痛を受ける。太平の世には太上老君が出現して君臨し、人類の寿命は1万8000年に達するであろう。
これは『ヨハネの黙示録』そのままですが、キリスト教が伝来したと考えるよりは、ゾロアスター教の影響を考えた方が良さそうです。太平道も似たような教義を持ち、まさに甲子年に黄巾の乱を起こしています。千年王国運動はキリスト教世界に限らず、人心不穏な時は古今東西で起こりうるのです。六十干支は60年に一度巡ってくるので、定期的に予言の時が訪れますが。
ゾロアスター教とその諸宗教への影響、また天使や悪魔については古来様々な研究があり、きりがありませんので各自でお調べ下さい。現代では様々なエンタメに取り上げられて有名ですが、深入りせぬよう気をつけましょう。
◆True◆
◆Survivor◆
こうした諸宗教の混淆の時代に、ユダヤ教やキリスト教は神から悪魔を(堕天使として)分離させ、悪の勢力もろとも地獄へ叩き落とすという幻想を産みました。それは預言や理想通りにはいかない世の中をなんとか合理化し、信者を説得するための方便でもあったのでしょう。映画や漫画もない時代ですから、鬱憤晴らしのエンタメとしても良く出来ています。
しかし終末が来るまで現世が悪魔に支配されているというのなら、ローマ帝国や地上の諸王国は(神の許しによるとはいえ)悪魔の国です。そのような存在をのさばらせ、地上の様々な災いを放置している神は、全知全能ではないのではないか?あるいは、悪魔ではないのか?という考えも出て来ます。いわゆる「グノーシス主義」です。これはユダヤ教やキリスト教の異端というよりは、相互に影響のある別種の宗教思想であると考えられています。
【続く】
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