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【つの版】ウマと人類史:近世編03・女人天下

 ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。

 スレイマン1世率いるオスマン帝国の大軍は、ドナウ川を越えてハンガリーに侵攻し、1529年にはハプスブルク朝神聖ローマ帝国の都ウィーンを包囲しました。これは頑強な抵抗に遭い撤退しますが、スレイマンはハンガリーの東半分を属国化し、続いて東方への遠征を行います。

◆大◆

◆奥◆

東方遠征

 オスマン帝国の東方の隣国はサファヴィー朝です。初代君主のイスマーイールは1524年に亡くなり、跡を継いだ息子タフマースブはまだ10歳で、配下の騎兵集団クズルバシュが暴動を起こすなど混乱していました。

 この頃、マーワラーアンナフルではシャイバーニー朝のウバイドゥッラーが勢力を広げ、1533年にブハラに都を置いてハンを称しました。彼はティムール朝の残党バーブルをインドへ追いやったのち、サファヴィー朝が支配するホラーサーン(イラン高原東部)へ侵攻を行います。ヘラートやマシュハドはウバイドゥッラーの手に落ち、やむなくクズルバシュは暴動をやめてホラーサーン奪還に乗り出しました。また同年にタフマースブはクズルバシュの筆頭を粛清して政権を掌握、国政改革に乗り出します。

 しかしスレイマンはサファヴィー朝の混乱に乗じ、クルディスタンでの領主同士の争いに介入して1533年に東方遠征を開始します。先遣隊を率いる宰相イブラヒム・パシャはアゼルバイジャン地方を攻め取って首都タブリーズを陥落させ、1534年にスレイマン自らイラクに侵攻、バグダードを征服します。タフマースブは逃亡して焦土作戦とゲリラ戦を行い、スレイマンはタブリーズに到達したものの、1535年に撤退しました。

 宰相イブラヒム・パシャは、この戦役において前財務長官イスケンデル・チェレビと諍いを起こし、1535年に彼を処刑に追い込みます。しかしイブラヒムも寵愛を失い、1536年に処刑されました。この政変には、スレイマンの寵愛を受けていた女性が関わっていたといいます。

女人天下

 彼女はオスマン名をヒュッレム(ペルシア語で「陽気な女」)といい、欧州ではロクセラーナルーシの女)と呼ばれました。

 ルーシとはキエフを中心とするルーシ王国、そこから派生した東欧の諸国の住民で、現在のウクライナとベラルーシ、ロシア西部を含みます。モスクワ大公国も広義のルーシですが、その領域は「モスコヴィア」と呼ばれていました。その他のルーシの地はおおむねポーランド・リトアニア連合の域内にあり、ウクライナ南部はクリミア・ハン国の領土でした。

 ポーランドの伝承によると、彼女はポーランド領ルテニア地方(紅ルーシ、現ウクライナ西部)の出身で、本名をアレクサンドラないしアナスタシアと言います。1502年頃、リヴィウ南東の町ロハティンの正教会の司祭リソフスキーの娘として生まれましたが、少女の頃クリミア・タタールに掠奪されて奴隷となり、オスマン帝国へ輸出されました。イブラヒム・パシャは彼女を購入し、やがてスレイマンの目にとまったのです。

 彼女はスレイマンの寵愛を受け、1521年に皇子メフメト、1522年に皇女ミフリマーフと皇子アブドゥッラー、1524年に皇子セリム、1525年に皇子バヤジットを生みました。アブドゥッラーは1526年に疫病で夭折しますが、1531年には皇子ジハンギルが生まれています。

 しかし、スレイマン即位前からの第一夫人マヒデヴランは1515年に第一皇子ムスタファを生んでおり、ロクセラーナと激しく対立しました。スレイマンの母后ハフサ・ハトゥンはマヒデヴランを庇護し、両者の仲介をつとめていましたが、1534年にハフサが亡くなるとマヒデヴランとムスタファは宮廷から追放されます。これは噂によるとロクセラーナの策略で、マヒデヴランと口論したのち顔に引っかき傷を作って皇帝の前に出たのだといいます。

 同年、スレイマンはロクセラーナと盛大な結婚式を挙げ、彼女をハセキ・スルタン(字義通りにはアラビア語で「スルタンだけに所属する者」、すなわち皇后)の地位につけました。彼女はマヒデヴランやムスタファを殺しはしませんでしたが、宮中のマヒデヴラン派は讒言に遭って処刑され、イブラヒム・パシャの処刑もこれに関係していたのではと噂されています。

海洋攻勢

 1536年を境として、スレイマンは大規模な領土拡張政策をやめ、内政重視に舵を切ります。しかし周辺国との交戦をやめたわけではなく、特に地中海各地で欧州諸国と激しい戦いを繰り広げました。

 アルジェリア沿岸部の海賊を率いていたバルバロス兄弟のうち、兄オルチ(ババ・ウルージ、バルバロッサ)は1518年にスペインとの戦いで戦死しますが、弟ハイレッディン(フズール)は跡を継いでオスマン帝国に臣従し、スペインと戦い続けます。彼はエーゲ海のレスボス島で生まれた根っからの海賊で、兄弟全員海賊となってロドス騎士団と戦い、1503年から西地中海に拠点を遷してキリスト教徒の船を襲撃していました。

 ハイレッディンはスペイン・南仏・イタリアの沿岸各地に出没して荒らし回り、1529年にはスペインからアルジェを奪還し、スペインで迫害されていたムスリムやユダヤ人を北アフリカへ脱出させました。ジェノヴァもトスカーナ地方も南イタリアもシチリアも襲撃され、神聖ローマ皇帝カール5世はジェノヴァ人アンドレア・ドーリアを海軍提督に任命して対応させます。

 1531年、ドーリアは北アフリカへ遠征し、南イタリアにいたハイレッディンを撤退させます。1532年にはギリシアへ遠征、ペロポネソス半島各地の重要な港を奪還しました。スレイマンはオスマン海軍を派遣して再占領させたものの、海防のためにハイレッディンを帝都コスタンティニエ(イスタンブール)に召還し、ドーリアを撃退させます。ハイレッディンはスレイマンから海軍総司令官(カプタン・パシャ)、北アフリカ総督(ベイレルベイ)、エーゲ海諸島の知事に任命され、地中海を統括することになります。

 1533年、ハイレッディンはフランス王へ使者を派遣して友好関係を結び、翌年には西方へ遠征してギリシア沿岸を奪還、南イタリア各地を襲撃したうえローマの外港オスティアにも上陸し、スペインの属国となっていたハフス朝の首都チュニスを占領しました。ハフス朝はスペインに支援を要請し、カール5世は諸国連合艦隊を率いて1535年にチュニスを占領します。ハイレッディンは本拠地アルジェに逃れて反撃しますが、チュニスがオスマン帝国の手に戻るのは40年も後のことです。

 ハイレッディンは帝都へ呼び戻され、1537年には南イタリアに上陸、ヴェネツィア領のイオニア諸島やエーゲ諸島を襲撃しました。アドリア海の出入口を抑えられて存亡の危機に陥ったヴェネツィアは、皇帝や教皇に呼びかけてオスマン海軍と戦おうとしましたが、1538年のプレヴェザの海戦では大した交戦もないまま撤退され、制海権を奪われてしまいました。1540年、ヴェネツィアはオスマン帝国と和約を結び、貢納金を差し出しています。

 オスマン帝国の海洋進出は進み、モルドバに出兵して黒海の制海権を強化したり、アラビア半島南部のイエメンを制圧したり、インド西部のグジャラートに艦隊を派遣してポルトガルと戦ったりもしています。フランスはオスマン帝国と同盟してイタリアに侵攻し、ルター派諸侯にも両国から資金援助が行われます。欧州は分断されて混乱し、マッポーそのものでした。

洪牙分割

 1540年、東ハンガリー王サポヤイ・ヤーノシュが逝去すると、息子ジグモンドが跡を継ぎます。彼は生後2週間の赤子に過ぎず、王母イザベラと枢機卿ジェルジが摂政となりました。イザベラはポーランド王ジグムントの娘で親オーストリア派でしたが、ジェルジはカトリックの聖職者でありながら現実主義者で、オスマン帝国の宗主権下での自治を望んでいました。

 幼王の即位を好機とみたハプスブルク家はオーストリアから出兵し、東ハンガリーの首都ブダを包囲します。ジェルジはイザベラを逮捕させ、ブダを脱出してオスマン帝国に援軍を要請しました。1541年、オスマン軍はブダを奪還し、ブダを含むハンガリー中央部を直轄領として支配下に置きます。ここにハンガリーは北西のハプスブルク領、中央のオスマン帝国領、東ハンガリー(トランシルヴァニアなど)に三分割されました。

 皇帝カールは報復のためアルジェ遠征を行いますが、悪天候のため大損害を被って撤退します。フランス王フランソワはしめしめと北イタリアへ侵攻し、ハイレッディン率いるオスマン海軍も呼応、両国の艦隊は手を組んで神聖ローマ領のニースを攻撃しました。カールは北イタリアのフランス軍を撃退しつつ、イングランド王ヘンリー8世と手を結び、フランス本土へ侵攻します。結局どの国も相次ぐ戦争で大赤字となり、1544年にフランソワとカールは和約しました。

 1547年にはヘンリーとフランソワが相次いで亡くなります。同年カールはドイツのルター派諸侯に勝利をおさめ、オスマン帝国ともハンガリー分割と貢納金の支払いを承諾することで和平を結び、多方面での大戦争をどうにか収集しました。しかしフランソワの子アンリ2世は父の方針を受け継ぎ、オスマン帝国と手を組んでハプスブルク家と戦い続けることになります。

 この頃、オスマン帝国の大宰相の位にはリュステム・パシャが就任していました(1544-53,1555-61年)。彼は1539年にスレイマンとロクセラーナの娘ミフリマーフと結婚し、スレイマンの義理の息子(ダマト)、すなわち娘婿となっています。彼はロクセラーナとともに帝国の政治を左右しました。

 また1546年には海軍提督ハイレッディンが逝去し、ソコルル・メフメト・パシャが後継者に任命されています。彼は出世を重ねてスレイマンの最晩年に大宰相となり、スレイマンの崩御後に国政を担うことになります。

◆Scary◆

◆Monsters◆

【続く】

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