大根、あれこれ
『徒然草』を朗読動画に仕立て、YouTubeで毎週三作ほど公開するすることをしばらく続いてきた。昨日アップロードしたのは、第六十八段。わずか三百文字程度の短い話で、大根が主役だった。とある押領使の舘に敵が襲ってきた。だれもいないはずの建物の中からは、二人の武士が現われ、奮戦して敵を追い払った。二人の身の上を尋ねたら、なんと大根だった。大事に食べてくれる主人に恩返ししようと、命を投げ捨てまで戦ったという、なんとも言えない夢のような話だった。(朗読動画『徒然草』六十八段)
はたして大根とは、昔の人びとにとってどんな存在だったのだろうか。他の古典に目を向けてみた。
『今昔物語集』には大根が登場した。鷹を追って道を迷ってしまった高藤という男は、信じられない世界に迷い込み、思いも寄らない美女に出会った。出会いの第一幕は、心を込めた美食のもてなしを受けるというものだった。ここで大根は、万の病気に効き目あるから毎日のように生真面目に食べるものとしてではなく、豪勢豪華な料理の一品として人の目を惹いた。その証拠に、大根と並んだのは、糄(やいごめ、焼いた米)、鮑(あわび)、干鳥(ほしとり、干した鳥肉)などだった。そしてこれらを肴にして、お酒を大いに飲んだものだった。(二十二巻第七話)
ところで、ここで眺めている大根は、その読み方は「おおね」だ。大きな根っこといったことだろうか。気になって手元の辞書を開いて調べれば、予想よりはるかに古い用例が報告されている。上代の文献にはすでに記述があり、一例としては「淤富泥」(『古事記』)があった。対して「大こん」(「東寺百合文書」)との用例は十五世紀の前半まで待たなければならない。古来の日本の呼び名が音読みして漢語に仲間入りするという言葉の変遷の一コマもここではっきりと見て取れるなのだ。
視線の先を下って江戸時代に移すと、よく聞くユニークな言葉といえば、「大根役者」をあげてよかろう。言葉の成り立ちと言えば、大根が白いから素人役者、どのように食べても食あたりしないから当たらない役者などと、その語源説には妙味が尽きない。江戸らしい洒落た言葉遊びだと言わなければならない。浮世絵を探ってみれば、例えばこのような一枚が出てくる。絵師は清広、作品名は「たけなり尾上菊五郎」である。(メトロポリタン美術館所蔵、ARC浮世絵ポータルデータベースより)
再び『徒然草』六十八段に話を戻そう。食べられてありがたく思うという、食材に命を見いだすにとどまらず、その思考の回路に屈折した中世的な発想を仕込んだことを見逃してはならない。この論理に共感するにせよ、反発するにせよ、大根とわたしたちの暮らしとの、千年も続いてきたこの切っても切り離せない関係を覚えておきたい。
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