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ビジュアルの室町将軍

大河ドラマ「麒麟がくる」は、コロナによる休止を経てようやく放送再開した。これから光秀が歴史の晴れ舞台に踊り出して本格的に動き出し、ドラマもいよいよ佳境に入った。

最近二回の放送は、第24回「将軍の器」 、第25回「羽運ぶ蟻」である。それぞれ室町将軍義輝、義昭にスポットを当てた。義輝は殺され、義昭は将軍の座を狙っていても都に入れずに地方に流転するという、史実としては広く知られるものである。

ドラマは、もともとフィクション。波乱万丈の歴史を楽しい物語に仕立てることは、古くから繰り替えされてきたもので、室町終末期の将軍をめぐっては、大きな関心が集まる。遠く江戸時代に目を向けても例外ではない。義輝、義昭の運命と言えば、文楽やら歌舞伎やら舞台で繰り広げられ、そして書物の形でも旺盛に描かれていた。ここに江戸の読本に見られた描写、とりわけそのビジュアル的な展開を眺めてみよう。

『絵本太閤記』という江戸中期の読本がある。あわせて8編84巻、頁数にしてじつに5000頁におよぶ気が遠くなるような分量だ。文字と画像が分立して相互に入れ替わるという作りになっていて、画像の分量はほぼ半分、なかなか読み応えのあるものである。タイトルが示すように、太閤信長が主人公であるが、そのかれが直接に関わっていなかった事件などもしっかりと入っている。その中で、いまの二人の将軍が描かれた。

まず、義輝の最期を見よう。大河ドラマでは、その最後の瞬間を、襖三枚で囲まれ、大人数の武士によって刺殺されたとした。奇抜で印象に残る舞台設定だ。襖という大道具の選択を含め、多勢に無勢、そして視線を遮断させた上で攻撃を仕掛けるという意味で、実用的な要素もしっかりと考えられたと言わなければならない。

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一方では、『絵本太閤記』では、初編巻8において、「三好松永等殺義輝公」の章段を設け、文字による記述にあわせて、つぎの場面を描いた。絵を説明する文字は、「義輝公最期」とある。

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義輝は、言葉通りに死闘している。身に纏う服装は、不意打ちに遭ったことを示す。髪を乱して大童になり、まるで鬼の形相で切り回っている。逃げ惑う武士も、刀や薙刀を振るって立ち向かう武士も、鎧兜姿で臨んでいる。やりあいは室内で繰り広げられ、大きな襖はドラマの場面を妙に連想させる。

つぎは、義昭が描かれたところを見よう。大河ドラマでのかれは、壮大な志を語っていながらも、それを実現する術を持たず、朝倉が会ってくれないと嘆いて無気力で遣る瀬無い性格の持ち主だった。その彼は、蟻の働きを見つめ、死んだ虫の羽を自分自身に重ね合わせた。

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一方では、『絵本太閤記』初編巻9「義昭公美濃国動座」における義昭は、しかしながらかなり異なる姿を見せている。義昭は、畳みまで敷かれた豪華な輿の中に端座し、周りには、立派な馬に跨る武者をはじめ大勢の軍卒に固められ、対する武士は馬から降りて跪いて到来を恭しく迎える。絵に書き入れた文字は「義昭公美濃の国動座」、朝倉義景の領地である越前を離れ、信長のいる美濃へ移った時の様子だ。大河ドラマのつぎの回に展開するだろう場面である。

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義昭は、腐っても将軍になろうとする人物だ。『絵本太閤記』の記述では、朝倉でさえ、いやいやながら「二千余人の軍卒を相添へ路次の警固をつとめけり」とした。ドラマの中で描かれたような、周りに軍卒がはたしているのかいないのかも定かならず、はてには光秀をかれの家にまで訪ねては子供たちの遊び相手に務めるという様子は、やはりあまりにも突飛なものだと言わざるをえない。

もともと『絵本太閤記』において、光秀の登場はここからだ。このような読本に限らず、関連するもろもろの史料においても、この時点までの光秀は、これといった事件に明確に関わらず、その行状は朧げなのだ。これを知っていれば、大河ドラマの面白さのもう一つの側面が分かる。不明のままの光秀について、ドラマは実質上半分、スケジュールの上では四分の三(九か月分)の回数を費やした。そして、このような作りをしてきたからこそ、歴史の前面に飛び出したこれからの光秀のことをドラマははたしてどのように描くのか、いっそう楽しみが多い。

ちなみに上記引用した『絵本太閤記』は、国文学研究資料館所蔵のものであり、その全編がオンラインで公開されている(リンク)。さらに活字による同作品も、同様にデジタルアクセスができる(リンク)。読み通すにはかなりの気力がいるが、画像を眺めるだけならいつでも気楽にできるはずだ。

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