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箸と魚箸

先週、左手に握られた箸のことを書いた。

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そのあと、どこか落ち着かない感じが残ったままだった。はたして「箸」と簡単に括って良いものか、もうすこししっくり来る言い方がなかったのか。状況の詳細は絵に描かれた通りだが、いざそれを確実に言葉に変えて特定しようとすると、文字による資料はどうしてもほしい。そこで、つぎのを読んで、ようやく膝を叩いた。

これは『今昔物語集』に記された一コマである。巻二十八に収められた第三十話。話の主人公は、茂経という男である。見え張りのかれが、ついにそのためちょっとした痛い失敗をしでかしてしまったという軽い哄笑が伴うエピソードだった。

塩漬けした上に藁を巻かれという処理が施された鯛の荒巻という珍しいものを思わぬ形でもらい、小さな集まりの席上それを披露して喝采を博そうと、大きな顔で自慢しようとした。その彼は、下人に荒巻を取ってくるように指示を出しながら、

「ヤガテ今日ノ包丁、茂経仕ラム」ト云テ、(今日は、この茂経が鯛を捌いてお目にかけよう)

とはしゃぎながら、その準備作業として、つぎの一連の行動を取った。

魚箸削リ、鞘ナル包丁刀取出シテ、打鋭テ、「遅シ遅シ」ト云居タル程ドニ、(魚箸を削り、鞘に収まった包丁を取り出して磨き、「遅いなあ、遅いなあ」と言い続ける間、)

小躍りしそうになる茂経という人物の様子が生き生きと踊り出ている。やがてその荒巻がもたらされ、茂経はさっそく「俎ノ上ニ荒巻ヲ置テ」料理に取り掛かった。しかしながら、荒巻の中身はすでに盗まれ、しかもその上藁靴が代わりに入れられたという質の悪い冗談まで仕込まれ、一席が白け、当の茂経が可哀そうにも笑いものにされた。

話の流れはともかくとして、ここで当面関心を持っている道具にかかわる大事な情報が得られた。茂経の左手に握られたのは、ただの「箸」ではなくて、「魚箸」なのだ。その読み方は「まなばし」、つぎに出てくる「俎」(まないた)とまさにぴったりした対となるものなのだ。

箸とまな箸、この一対を丁寧に表現したのは、例えばつぎの場面がある。『慕帰絵詞』(巻五第四段)の一部である。歌の会がまさに行われた広間のすぐ隣に、一席の賓客を大いにもてなそうと、台所の中は大忙し。内容は精進料理だが、その作り方は一つひとつ凝っていて、出来上がったものは棚に並べられ、広間からの指示がこまめに伝えられている。そこで違う用途をする箸はそれぞれ役目を果たしている。

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一方では、『今昔物語集』の話に記されたまな箸は、「削」って使用に備えている。これについて、「日本古典文学大系」は、「箸は度毎に新しく削り用いるのが習わしであった」と、いささか突っ込んだ注釈を加えている。やや言い過ぎではなかろうか。茂経の行動は、「魚箸削リ」、「包丁打鋭(とぎ)テ」というものだった。あくまでも庖丁を研ぐのと同じレベルの、箸の形を整えた程度のものだと考えてよかろう。しかもそのようなまな箸もやがて庖丁に同調して鉄の材料に取り換えられるのだろうと想像を広げたい。

まな箸やまな板を使っての料理の仕方を、鬼の行動に屈折させた実例、さらに一つ添えることとしよう。『北野天神縁起』(承久本、巻七)からの小さな一部分である。地獄のこの一角を厨房だと見立てれば、箸を捌いてこれを口に運ぶのは、閻魔王にほかならないということだろうか。

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