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北斎の文字絵

これまで一か月以上かけて、集中的に北斎の浮世絵六歌仙シリーズの文字絵を解読してきた。先週をもって一通り六枚の作品を読み終え、ほっとしている。

絵に文字を盛り込み、それを読み解くように鑑賞者に謎かけを仕掛ける、これが絵師北斎の一つの工夫にほかない。文字の中身や形を見出してしまえば、どれも大したことではない、分かり切った答えに見える。だが、最初にこれらの絵に対面したころ、けっしてそういう感覚ではなかった。読み解いていくうちでも、何回も無理だと諦めはじめた。思えば、文字絵とは絵師が絵を通して作った一種の遊びだ。それだからこそ、けっして簡単に分からせるものではない、小さな骨折りを隠し味にいたるところに用意したものだった。

ここに、すくなくとも北斎による文字絵に見られるいくつかの特徴、その基本ルールを箇条書きにして、備忘としよう。

・用いた文字の答えが明白だ。この六歌仙シリーズの場合、それはそれぞれの歌仙の名前。同じ絵に歌仙の歌と歌仙名を掲げているので、簡単に参照できる。
・文字は仮名中心だが、漢字まじりもある。それは「小野小町」にある「小町」もあれば、「在原業平」の「在」、「僧正遍昭」の「正」もある。
・文字が置かれる順番はばらばらで、文字の方向も自由自在だ。読み解くにはあくまでも文字の形に頼らなければならない。
・多くの文字は見事なほどに勢いがある。「大友黒主」の「と」と「ろ」のように、文字は互いに食い込んでいても、画数は交わらない。

一方では、いまはすべての文字について完璧に答えに辿りつき、絵師の仕掛けを残りなく読み取れたとはとても言えない。「喜撰法師」の袖、「文屋康秀」の襟を成す線は、はたしてただの余分なものだと片付けてよいものなのか、疑問が残る。

六歌仙シリーズ製作の年次は不明だ。北斎と同時代の戯作作家十返舎一九には、『文字の知画」という秀作がある。そのカバーページの裏に記された版元による宣伝文には、つぎの一行がある。「ぐつと昔の大判頭書に人丸、小町などを文字をもつて其形をかきたる古草紙」から知恵を借りて一書を作った。いわば作品の種明かしであり、長い伝統への根拠求めである。北斎の浮世絵文字絵も、まさに同じような文化的な流れを受け継ぎ、工夫を競った名作だったと言えよう。

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