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兼好曰く:医師

『徒然草』が熱心に語ったテーマの一つには、医師があった。多彩な視点やユーモアな語り口から兼好の並々ならぬ関心のほどが伺える。ここにそのような兼好の思いを準えてみよう。同じく江戸の絵注釈、こんどはいずれも『つれづれ草絵抄』(苗村丈伯、元禄四年刊)の絵を添えておく。

第百十七段は、友を語る。まずは悪い友、七つ。ここでは不問にして、良い友のほうを見よう。三つある。いわば「一には物くるゝ友、二には医師、三には智恵ある友。」ずいぶんとはっきりと言い切るものだ。ただ、医師が知恵と物との両者と並列されると、なぜか分かった気持ちが萎えてしまった。注釈絵において、医師は堂々と真ん中を座っている。

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(デジタル公開:デジタル画像。新日本古典籍総合データベース)

そのような医師でも、いうまでもなく万能な存在ではない。それをなにげなく伝えたのは、第五十三段、仁和寺のとある僧の滑稽な失敗談である。酒宴の狂乱が度を過ぎ、ついに鼎に頭をつっこんだまま生死の境を彷徨うはめになった。そこでまず思いついたのは、医師に助けを乞うものだった。苦労してたどり着いても、なったくの徒労だった。「かゝることは文にも見えず、伝たる教へもなし」との素っ気ない返答だった。ただし、この段を読み返してみれば、医師への特別な感情が込められたわけではなかった。言ってみれば、医師にまで匙を投げられたのだからと、嘆くための理由が与えられたといったところだろう。

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一方では、医師はしかしながら繰り返し嘲笑の対象となった。

第百三段。忠守という医師は、院の近習たちが謎を掛け合って遊んでいるところに現われたら、たちまち謎として取り上げられた。名前があの平忠盛と同じ発音なので、鹿ケ谷における瓶子と持ち上げられ、「唐瓶子」となじられた。憤慨した忠守はその場から逃げ出すようにして出て行ったのが関の山だった。

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第百三十六段における篤成という医師は、しかしながら自分から進んでない知恵を見せびらかして恥を掻いてしまった。法皇を前にして、出された食料の書き方や効用などすべて申し上げられる、本草書に照らし合わせてもぜったいに間違いはないと嘯いたところ、その場にいた公卿有房から「塩」と聞かれ、いま口にした本草のことを忘れて文字として土偏と答えて笑われてしまった。

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笑われる医師。その原因はこれまたどこにあったのだろうか。かれらが独特な体系の知識の持ち主であり、しかもその知識の詳細はほとんどの読書人と共有しない、よって拒絶で孤高さえ見られがちだと言えば、あまり医師の立場に寄りすぎたのだろうか。

なお、上記あげた第五十三段第百三段は、朗読動画を公開している。残りも制作中で、近いうちにYouTubeに掲載する予定だ。

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