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巴御前の姿

「鎌倉殿の13人」(十三回)を楽しんだ。あの巴御前が登場した。女性の武将として日本歴史上有数の、いや屈指の人物だ。ドラマでも迫力ある姿の、その片鱗を見せてくれた。巴御前が戦場を走りまわる様子もきっと披露してくれるだろう。それを期待しつつ、その顔に注目して、古い書物を開いた。

絵に描かれた巴御前を数例紹介しよう。

まず、これまで何回となく触れてきた『源平盛衰記圖會』(秋里籬島、寛政六年)。江戸の読書人における源平合戦の絵の宝庫とも言える。巻四にはこの一枚が収められている。短く添えられた文字の解説は、「巴御前河原合戦勇力を振ふ」とある。それにしても、振るっている兵器は、笑えるほど型外れなのだ。顔に施された眉化粧は、女性だということを懸命に伝えようとしたのだろうか。

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明治時代に入るが、『校正源平盛衰記』(秋里籬島、明治十九年)。登場する人物をまとめて巻頭において描き出すもので、戦場に向かおうとする巴御前の姿だ。手に握っているのは薙刀、向かいに座る義仲のほうはかえって弱々しく頼りない。

校正源平盛衰記

これは『絵本源平盛衰記』(牧金之助、明治二十一年)より。にやや長文の解説が添えられる。「義仲の妾巴は女ながらも武勇人に越たり。四の宮河原に内田家吉を取押へ鞍の前輪に攻付、引仰け首を取る。」その武勇談の一番に上がったのは、名高い武将を打ち取ったということなのだ。

絵本源平盛衰記2


違う資料に目を向ければ、浮世絵においても、巴御前は好まれる人物なのだ。試しに「ARC浮世絵ポータルデータベース」に入り、「巴御前」と入力すれば、立ちどころに九十ものヒットが戻ってきた。三例ほどあげよう。

国芳の「英勇一百伝」より一枚。江戸末期の嘉永年間のものだ。おなじく薙刀を抱えての姿であり、百に数えられる武勇の名に連なり、長文で記された一生によれば、九十一歳まで長生きできたとか。

英勇一百伝

春亭の「巴御前勇力」。同じく内田家吉(三郎)を打ち取った瞬間にスポットライトを与えたが、首を取ったということが前提であり、使用する武器はわざと明示しないように工夫された。

巴御前勇力

春章の「木曽山中合戦」(文化年間)になると、およそ武器不要の人間離れの姿になった。敵の大将を両手で軽々に持ち上げ、まわりの武士の度肝を抜いたという構図になる。

木曽山中合戦a

ドラマにおいて、巴御前の顔は、一本線に繋がる眉が特徴だ。対して古書などに見るのは、いずれも引き眉を用いた眉化粧なのだ。女性の象徴、そして憧れの女性の美しさ、逞しさは、まさに時につれ変化し続けたものなのだ。

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