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お笑いライブを観て感じたこと。

6月22日は、所用があって東京へ。

私は長距離移動をするときに、価格が安いということと、寝ている間に到着するという理由から、高速バスを利用するのがほとんどです。私にとって都合のいい高速バスですが、本数が少ないのが玉に瑕。大都市同士じゃないと、運行会社が少なかったりしますから……。それで、往復のバス時間の間が大きく空いてしまうこともしばしばです。その空いた時間を埋めるために、ちょこちょこ観光などをしたりします。東京では寄席に行くというのが、いつものルーティーンだったのですが、時間によっては、ルミネtheよしもとへ行くことも。今回もそのパターンでした。

その日は運が良かったのか、私でも知っているような、名の知れた芸人さんばかりが出演していました。ネタの面白さもさることながら、それに花を添えるのは、ライブならではのアドリブというものなのでしょうか? その辺、私はあまり詳しくないので何とも言えないのですが……。

先に出演した組のネタを、後から出演した組が本歌取りして笑いをとったり、お客さんの反応をネタにして笑いをとったり。以前観に行った時も、独特な笑い声を発していたお客さんを、出てくる芸人さんが代わる代わるいじってネタに組み込んでました。さすがはプロ、よくそんな対応できるものだと、ただただ舌を巻くばかりです。

同じ雰囲気・空間を共有しているからこそ生まれる共感というものなのでしょうか? 思えば、どこかの店員さんに、あからさまなマニュアル通りの対応をされたとしても、あまりありがたみとかは感じないものですよね。その時、その場所、その状況に合った対応をされるからこそ、それはちゃんと自分に向き合ってくれているんだ、ということが実感できて、感謝の念が生まれる、ということなのでしょう。

あらかじめ撮影したものなどを、不特定多数に向かって発信すれば、大抵、波長の合う人がいるものですから、無難に評価が得られるということかもしれません。しかし、目の前にいる人に、ピンポイントに求めているものを提供するとなると、これはなかなかできることではありませんよね。それが「笑いが一番難しい」と言われる所以なのでしょうか? となると、お笑いの世界では、みんなの共感を引き出せる、ほんの一握りの人たちしか生き残れないというのは、納得のいく話のように思えます。

つまるところ、どんな世界でも、人から評価が得られるのは、他人に共感できる人、ということに尽きるのだと思います。

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