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「おいしい」文章がたべたい

「おいしい」文章がたべたい。

そういう文章を読むと心が満たされる感覚になる。ちょっと前までは、他人の文章ならなんでもいい、と思ってたけど、やっぱり食と同じで味覚(文覚)があるみたいだ。

「うま味」とでもいうのか、僕が読んでいて(咀嚼していて)、おいしさを感じる文章にはうま味がある。どこがどうおいしいのかを言語化できないのがもどかしい。食べ物の美味しさをうまく表現できないことと似ている。

文章にも味覚がある。あまい文章やにがい文章、すっぱい文章。

僕が好きなのはあまくてちょっとにがい文章。

明朝体で書かれていて、堅くて不味そうだなと思う文章でも、読んでみるとあまくてとろけることもある。百見は一読にしかずだ。

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僕も「おいしい」文章が書きたくなった。

だから、「おいしい」文章を模写してみた。一言一句、自分のnoteに書き写す。「おいしさ」の理由を見つけるために。

とはいうものの、見つからない。2記事を模写したくらいじゃわからない。自分の文章との違いは少しわかった。読点の打ち方、改行のタイミング。でも、本質的な違いまではまだわからない。彼らの文章に決まったレシピがあるとは思えない。それよりも、今まで読んできた文章と今まで書いてきた文章のエッセンスが彼らの中にあって、それを自分の文章に落とし込んでいるんだと思う。

というのもあって、僕は「おいしい」文章が読みたい。

エッセンスを取り入れて、自分も「おいしい」文章が書きたいから。

エッセンスは絵の具みたいなものだと思ってる。

水彩と言うより、油彩的。

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よそから取り入れた色(エッセンス)がすでにある色と混ざりあって混色になる水彩とは違って、上から重ね塗りして、厚みを増していく油彩的なイメージ。混ざる部分があってもいいんだけど、色が混ざりすぎて、無彩色になってほしくはない。有彩色も無彩色も多様に共存している心でいたい。

僕が「おいしい」なと思う文章を書く人には、あかしゆかさん(@akyska)だったり、鯖江のなおちゃん(@chan7na0)だったり、cotreeのひらやまさん(@yhkzk)だったりがいる。

彼らに憧れちゃうと薄味の文章しか書けないので、彼らの味を取り入れつつ、書いて、書いて、自分なりの「おいしさ」を見つけていきたいな。

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