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雲南─麗しき"金三角"

 中国雲南省。中国国内で最も多くの少数民族が居住するこのエリアは、南方情緒を色濃く残す、中国でも異色の土地だ。
 北京市が40℃に迫ろうとしている6月の半ば、雨季の様相を呈する雲南省に私はいた。

北の首都から熱帯の中国へ

海南航空で一路雲南へ。

 北京市から飛行機で3時間、雲南省昆明市。省都にして一帯一路・中国=ラオス運命共同体の拠点にもなっているこの街は、流石というか中国の地方都市の中では比較的規模が多い印象を受けた。
 機外に出ると、熱帯気候らしく湿気を充分に帯びた風が通り抜ける。いつも東北部や西部を旅行していた身にとって、久々に感じる種類の風だ。昆明空港から市街地まではおおよそ30分程度で到達する。

──いつも思うが、中国のような大陸国家は空港と市街地までの距離がそれなりに近いのが本当に嬉しい。後述する西双版納空港に至っては市街地から10分程度だ。とはいえ、対する日本は市街地から空港の距離が遠いものの、往々にして主要駅と都市間の距離が近いことを考えればさしたる差はないのかもしれない。──

今となっては郷土料理なのかもわからない。

 ホテルにチェックインして昼食を探す。幸いにもホテルが大きなショッピングモールに直達していたので、地下に行けばそれなりに郷土料理を扱っている店が多かった。その1つで春巻きとご飯やら何やらが乗っている料理の2つを頼む、25元。雲南まで下りると北京とここまで物価差が出るものかと感じた。

 昼食後は雲南省博物館に向かう。この博物館は雲南省の歴史や民俗を扱うだけでなく、考古自然史まですべてを扱うというなかなかにアグレッシブな博物館で、事実雲南の前史が恐竜時代から始まり、あまりのスケールの大きい展開に驚いてしまった。日本でも縄文からだろうに。
 雲南省博物館の凄いところは(中国なら多くの地方博物館であろうとも、重要文物はすべて中央に持っていかれる中で)、多くの重要文物をしっかりと保存・展示しているところに尽きる。雲南の宝物はこの雲南でしか見られないと言わんばかりの宝物には、とても特徴的なものも多い。

もはや蓋というより一つの世界だ。

 特にこの青銅器の蓋としての役割を果たしている盤は、見ての通り上部にとても細かく人の営み、行事が再現されている。個人的に人を生贄に捧げていると思われる情景を細やかに再現した盤の躍動的な雰囲気に心が惹かれた。

 そしてこの博物館、何より素晴らしいのが仏教芸術品の収蔵規模である。古くは大理国の仏教伝来を端を発するこの地域の仏教史、そして仏教の力をまざまざと見せつけるような展示の数々は圧巻だ。

博物館に展示されていた仏像。

 また仏像は東南アジア・中国朝鮮・日本に渡る過程で作り方などが変わってくるのだが、そのうちここでは東南アジア仏教芸術をしっかりと眺めることができるのも素晴らしい。個人的に日本では東南アジアの仏像などはあまり見られないように感じるが、どうなのだろうか。

 中国の博物館なだけあって、清王朝以降の百年史への熱意も流石だ。しかし他の博物館に比べると共産党歴史などが充実してるとは言い難く、比較的中立的な展示だったことが印象に残る。

 博物館の見学を終えると夕方に。なんだかこの日は疲れがとても酷く、ホテルに帰ると適当に雲南料理を外卖してこの日は眠りについた。明日は更に南へ。

少数民族に貫く鉄路

高鉄の駅にしては屋根も低いし少し古めかしい昆明。

朝6時。昨日早く寝ただけあり、比較的万全な体調で1日が始まる。朝から早速昆明駅に向かうと、外国人などが使う有人改札がいつもより混んでいた。
 よく見ると彼らも一様に外国人ぽく、パスポートの紋様からミャンマー・ラオス辺りなことがわかった。そういえば複数のオタクが大挙して押し寄せていた(いない)中国=ラオス鉄道は昆明駅を起点にしていた。そうでなくても昆明から南に降りれば東南アジア諸国へのアクセスが容易であることを考えると、外国人の割合がじわっと増えるのも理解できる。
 昆明駅構内はどことなく古い感じがした。中国の高鉄の駅というと本当に似たりよったりで面白みがないが、昆明駅は少し薄暗く、天井高はそうでもないが横に広いというまさに一昔前の人民鉄路という感じだろう。
 打包専門店に肉まんが売っていたのでそれを朝食代わりに予定の列車に乗り込む。

なぜこの色にしたのか。理解に苦しむ。

 これから向かうのは昆明から更に南の西双版納傣族民族自治州。以前少しだけ東南アジアのタイ族の文化多様性を扱っていた自分にとって、その頃から気になっていた中国の民族州だ。
 そして何よりここはミャンマー・ラオス国境にも接している。やはりボーダーツーリズムを楽しむ上では抑えたいエリアだ。

一昔前のJRグリーンという色合いかも知れない。好き。

 3時間半の道のりで、少し値段も安かったので一等座を予約。乗り込んでみると、北京近郊を走っている現用の一等座に比べ少し古い感じがする。日本のグリーン車でいうと上越新幹線の今はなきE2形グリーンの様な座り心地で非常好。因みに真ん中には四人がけ対面でテーブルまで設けられていて、観光需要を見込んでいる節を感じる。
 距離と時間もあってか、比較的一等座も混雑している西双版納行き列車は、予定通り12時すぎに到着した。

金三角へボートに揺られ

西双版納駅。これはこれで味がある。

 到着後、少数民族文字が一気に増えたことで中国の民族自治州であることを実感する。一路ホテルに向かうと、他の都市とは趣が異なり、東南アジア風のリゾートホテルに着いた。
 ホテルの位置は市街地のど真ん中なこともあり、どこへ行くにも大体アクセスが良い。まずは郊外にある傣族園に向かう。

雲南傣族園。中国の地方にある民族園という旅情は変わらない。

 タクシーで飛ばすこと40分。賑わいを見せていた市街地はとっくに消え、中国の古い地方都市のような集落を過ぎたところに目当ての民族園がある。意外と観光客の多い民族園のチケット売り場に向かうと、小さなボートの案内があった。
話を聞いてみるとこれは中国・ラオス・ミャンマーにまたがるゴールデントライアングルを見学するボートの案内だという。チケットはこの売り場では買えず、売り場が出すメモ書きを奥の方の車にいる人に渡すとチケットに引き換えるという本当に怪しいツアーなのだが、そんなところに行ける機会は滅多にないと踏んで体験することにした。

ゴールデントライアングル。中国を含めないケースも多い。

 一旦ここでゴールデントライアングルの解説を。中国語では金三角とも呼ばれ、中国・ラオス・ミャンマー・タイの4カ国にまたがるエリアは、東南アジア文化の共有地としての側面以外に大きな意味をもっている。それが麻薬取引や琥珀などの違法採掘・取引だ。特に麻薬取引はとても有名で、世界有数の規模を誇る麻薬がこの三国の国境付近で取引されている。ただでさえどの地域からしても辺境かつ、ジャングルに囲まれているこのエリアは密貿易に最適なのだろう。

 そんなエリアに向かうというだけで危ないのだが、更に怖いのはチケットに書いてある会社らしきもの。案の定調べても旅行会社としての登記がないのでいつぞやの中朝国境ツアーと全く同じ匂いを感じる。
 まあ後は野となれ山となれ。ツアーは民族園にある埠頭から出るらしいので、早速向かうことにした。
 埠頭の入り口に向かうと、VIPと書かれたスペースに案内される。建物内では飲み物と果物が無料で提供されており、そういえば昼を食べそこねているなと思いつつメロンを食べる。あ、悔しいことに美味しいわこれ。

中国の怪しいツアーのボートは大体転覆しそうな小ささだ。

 チケットに書かれた番号が呼ばれ埠頭に向かう。かなり小型のボートにはプレートが掛けてあり、ミャンマー船籍でミャンマー国籍の人が船長だと書いてある。ここ中国なんだけどな。にしてもミャンマー人はゴールデントライアングルの観光でも外貨を集めているのだろうか。そう思いつつ、心許ないライフジャケットを上から被りツアー開始。
 船長の話によると、この船は国境付近まで近付いて、そこから折り返す簡単なもので、国境警備に見つかったらすぐ引き返すという。ツアー自体はかなり不定期にやっており、皆さん運が良かったですねと。

 安全なうちに国境警備艇だかに見つかって欲しいと祈りつつも、やはり国境付近には行ってほしいなと相反する感情を持ちながら、ボートはゆっくりと川の中へ…。とは行かず、この船長かなり荒い運転をする。ボートって40度くらい傾けても沈まないんだと実感させる極めて危ない運転とスピードで、あっという間に国境付近に着いた。
 どうやら一応写真撮影は禁止らしく、流石に大人しく従った刹那、川向うから拡声器を使った怒声で警告文が読み上げられるのが聞こえた。どうやら明らかに国境警備に捕捉されているらしい。
 船は直ぐにUターンし、そのついでにラオス・ミャンマーの国境を踏む。あっという間に警備から逃げると、何事もなかったように荒い運転で客を楽しませていた。


野ざらしの果物が南国を思わせる。

 埠頭に帰る頃には既にヘトヘト。まさかゴールデントライアングルがあんな簡単な観光に使われているとは思わなかったので本当に驚いた。
 埠頭をあとにして民族園を見学する。どうやらタイ族の生活空間も同居しており、ある意味では以前訪れたカシュガル老城の様な構造だ。ただウイグル族とは異なり、仏教信仰は比較的守られており、民族園内の寺院ではお祈りや宗教行事の撮影や妨害を禁止する張り紙をいくつも目撃した。
 露店として展開されている果物売りの甘い香りが南方情緒を掻き立てる。マンゴーかグァバか、湿気はあるがそれなりに涼しい風も相まって、完全にリゾート地に来たようにさえ感じる。

意外と甘さ控えめで体力が戻る。

 民族園を歩いていると、タイ族の郷土料理を提供するレストランがあった。時間は4時になろうとしていたが、まあ夕飯をずらせばいいかと遅めの昼食。昆明に着いたときから気になっていたパイナップル飯というものを食べてみる。
 パイナップルをくり抜いた容器に紫色の米に(日本で言う雑穀だろう)パイナップルが混ざり、同じく蒸されているという具合の簡単な料理だ。食べてみると栗おこわのような感じの、優しい甘さのおこわという風合いでこれが何とも懐かしい。
 遅めの昼食後は、民族園に点在する雑貨屋などを冷やかしつつホテルへと戻った。

金色の屋台街

屋台街の真ん中に聳え立つ象がなんとも愛らしい。

 さて、ホテルに帰って夜の予定を考えていると、どうやら話によれば西双版納の夜市は中国一綺麗だとも言うらしい。それは行ってみるしかないし、そこまで行けば何かしら夕食にありつけるだろうとのことで、午後8時の日没に少し余裕を持って夜市の周辺まで来た。

ラオスビールとともに。

 日没には時間があったのでラオス料理を提供する店で夕食を。海鮮炒飯と牛肉炒めを頼んだが、なんというか確かにタイ米は炒飯とかにしないと日本人には苦手なのだろうと感じた。パラパラした感じというより、水っ気が少なくモサッとしているのだ。少し慣れるのに時間のかかる主食かもしれない。あと炒飯にでんぶらしきものがのっており、そんなわけ無いだろうと調べるところによると、まさに東南アジア文化圏でもでんぶを作るらしく、これは1つ勉強になった。
 牛肉炒めはというと意外と日本らしい甘辛い味付けで、焼肉炒めのような感じと思えば分かりやすいだろうか。別にラオスビールを頼んでいた甲斐があった。

 食事を終えると8時を少し過ぎたくらい。辺りは暗くなっており、少し先に歩いたところが明るくなっており、何やら陽気な音楽も聞こえる。コロナ禍の残りで人数管理のために無料のチケットを得る必要があるらしく、ウィーチャット上で入手し、早速広場へ。

──中国一綺麗な夜市という評価は決して冗談ではないだろう。東南アジア仏教を象徴する大きなパゴダを中央全面に、象の大きな石像を中心に据えた夜市は、そのどれもが電球色に整然と輝いている。パゴダ近くの階段から見下ろすと、まさに光り輝く絨毯という具合で、これは確かに中国一というのも間違いではない。──

 夜市は中国小吃のド定番である羊肉串から郷土料理、雑貨や飲料までとにかく多くの種類のお店が揃っている。お土産から食事までが一括で済むという点でも、中国の夜市文化は素晴らしいものがある。

この金属製の容器がぐるぐる回っている。

 夜でも暑いこの地域で一番助かったのはタイ製コーラのシャーベットだ。過冷却状態のコーラ瓶を、注文後客の目の前で叩いてシャーベットにするというパフォーマンスもあり、なんとも陽気で体を冷やしてくれる。
 他にも少数民族の模様が刺繍された布のカバンや巾着、孔雀の羽を使った製品や金属細工などが並ぶ。夜市は川を挟んでいることもあり、川の上には橋が渡され、船の上にも市場を開いているのが如何にもな東南アジア文化圏らしい。
 日本の夏祭りの雰囲気を思い出しつつ、夜市を見終えてバイクタクシーで帰る頃には11時を回っていた。

多様な中国の潤い

 最終日の朝。お昼の便で帰るので、午前は市街地にある公園に向かう。公園と言ってもタイ族の有力者が造影した庭園跡を活かしたものらしく、園内はとても広くゆったりとしていた。

穏やかな雲南の朝。

 園内を流れる川の左右には特徴的な建物がいくつか立ち並び、その周辺にはヤシの木や低木などが植わっている。時々点在するハイビスカスなどの色彩豊かな花が南方情緒を更に刺激する。

 公園の奥には資料館があった。どうやら中国共産党によるタイ族自治州への取り組みを解説したものらしい。展示はよくある少数民族自治区と同様、解放と闘志に重点を置いたものだったが、他の地域と違い国境付近の民族識別工作の苦労や国境経済の活性化に向けた目標と計画について記載されているのが特徴的だった。

 公園で少しばかりのリゾート休暇を楽しんだ後、空港へ向かう。市街地から僅か10分、そして高鉄駅の隣という立地は世界的に見てもここだけなんじゃないかと思いつつ入ると、地方空港にしてはかなり整備されていると感じた。
 中国の地方空港は往々にして、レストランが一つでもあればいい方、土産物店はあっても2店舗くらいという中で、この空港は中国はおろか日本の地方空港を凌ぐ勢いで充実している。西双版納が元々リゾート観光を目的にしていたり、東南アジア運命共同体構想で物流拠点にしたいからか、かなり整備が行き届いている印象を受ける。

 ──飛行機に乗り北京へ戻る。眼下に目をやると緑生い茂る豊かなジャングル地帯も早々に、1時間も経てば辺り1面の砂漠広がる西部を、そして北京の都会へと次々と移り変わる様は、まさにこの国の多様性を象徴しているのだろう。──

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