【歳時記と落語】半夏生
2020年7月1日は雑節の一つ、「半夏生(はんげしょう)」です。もうそろそろ梅雨明けに向かおうかという時期に当たります。
半夏生という名前は、「半夏が生えるころ」という意味で付けられました。半夏は、鎮吐剤として用いられる生薬の烏柄杓(カラスビシャク)の別名です。といっても、特に珍しいもんではなく、畑の端なんかに普通に見られる雑草です。薬と毒とは紙一重、烏柄杓も処方を誤れば毒薬になりますので、庶民にとっては毒草として知られておったようです。
その所為でもないでしょうが、天から毒気が降ってくるとか、地が毒を含んで毒草が生えるなんぞという言い伝えがあって、野草を取って食べることや種撒きをせんようにしたらしいですな。
じめじめと湿気が高く、気温も上がりがちな時期でっさかいに、物も腐りやすかった。そういうとこからも、そんな戒めができたのかもわかりませんな。 さて、落語の中で腐るというと、これはもう「ちりとてちん」をあげななりません。
ここにおりました我々同様と言う気楽な男、ある旦さんの家へ参りまして、酒や肴をご馳走になります。旦さんの誕生日という口実で、よばれてますのんで、この男、「おめでとうございます」てなことはもちろん、「生まれて初めてよばれます」てなべんちゃら尽くし。旦さんも気ぃようしておりますが、話は次第に、裏に住む「竹」という男の悪口に変わってまいります。
この「竹」、しょっちゅう旦さんの所へ来て、何かと食べて行きよるんですが、「旨い」とか「美味しい」とは一度も言うたことがない。なんぼ珍しいもんを出してやっても、「ああ、前に食べました。知ってますわ。大したことおまへんな、しょうもない」と言うばっかり。段々と憎らしうもなろうというもんです。
いっぺんギャフンと言わしてやりたい、そう言うておりますと、何やら台所が騒がしい。水屋に入れておいた豆腐が腐ってたんですな。
そこで、旦さん悪知恵が働きます。この腐った豆腐をどこぞの名物やと言うて「竹」に食べさせようというわけです。知ったかぶりの「竹」のこと、絶対に「知ってます。前に食べたことがおます」というに違いない。
醤油やら、梅干やらを混ぜて、ぐちゃぐちゃに練って、元が分からんようにしてしますと、これまたえぐい臭いが立ち込めます。
男の思いつきで、三味の音から名前をとりまして、「長崎名物ちりとてちん」といたしまして、折につめて名前をしたためます。
ちょうどそこへ「竹」がやってまいります。「長崎名物ちりとてちん」を出してやりますと、案に違わず、
「知ってますがな、長崎行てきた言うてますやろ。朝、昼、晩と食べてましたがな。酒のアテに良し、ご飯のおかずにたまりまへんで」
折をあけますと偉い臭いです。それはもう目にしみようかという具合ですが、「竹」は知ってるというた手前強がりを言い続けます。
「臭っさぁ!えらい臭いや、たまらんなぁ。いやいや、懐かしい匂いですわ。この匂い嗅いだら、長崎思い出します」
やめときゃええのに、一口放り込みます。
「オェ、ああ美味し」
「ホンマかいな?お前、涙にじんだあるがな」
「涙が出るほど美味しいんですわ」
「そらよかった。わしら食べたことないけど、どんな味や?」
「ちょうど、豆腐の腐ったような味ですわ」
有名な話なんで、みなさんご存知でしょうな。東京では「酢豆腐」と言います。知ったかぶりをするんは伊勢屋の若旦那で、「酢豆腐」という名前を始めて口にするんも若旦那です。せやから、ものが豆腐の腐ったもんやというんはその時点で双方に分かってます。ですから、オチも、
「若旦那、もう一口如何ですか?」
「いや、酢豆腐は一口に限りやす」
となってます。
この「ちりとてちん」こと「酢豆腐」は豆腐の腐った、つまり腐敗したもんですが、実は豆腐を醗酵させた食品は実在します。
クモノスカビなどで醗酵させた「白腐乳(白方)」、さらに紅麹菌を含む酒につけることで赤く仕上げる「紅腐乳(紅方)」、自然発酵させた「臭豆腐(青方)」などがあります。沖縄の「豆腐よう」はこのうちの「紅腐乳」が元になっています。香港や上海では、街角で「臭豆腐」を揚げたものを売っていて、近くを通るとすさまじい臭いがします。こちらは発酵調味液に豆腐をつけて作ったもので、上の「臭豆腐」とは異なります。ちょうど豆腐版のクサヤですな。
私も、初めて香港へ行った時には、その臭いに辟易としたもんですが、何度も行っているうちに慣れてきて、「これが香港の下町の臭いやなあ」なんて思えるようになってきたから不思議なもんです。
しかし、そうやって臭いが漂っているということは、逆に言いますと、「臭豆腐」そのものからは臭いの成分である遊離アミンや硫化水素が飛ばされているわけですな。ですから、本体にはうまみ成分が残って、ちょうどチーズのような味になってるはずです。
それでも、なれんと食べられたもんやおまへんが。
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