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【歳時記と落語】処暑

2020年8月23日は、二十四節気の一つ処暑です。
暑さが和らぐという意味で、秋の気配が強うなってきます。穀物も実り、萩の花も咲き始めます。せやから秋は「おはぎ」、はるは「ぼたもち」なんです。

このくらいの時期に、大体旧暦の7月15日「中元節」があります。日本では、「お中元」という言葉と、贈答の習慣だけが残ってますが、中華圏ではもっと大がかりな行事です。

時期的にも、地獄から解放された死者たちの供養という意味からも、日本のお盆とよう似てます。お盆は仏教行事の「盂蘭盆会」と日本古来の先祖崇拝が合わさってできたもので、先祖を供養するというところに力点があります。

一方の中元節は、元々道教の年中行事で、三元神の内、地獄を司る地官が霊を贖罪する日とされてます。それと仏教の施餓鬼の習慣が結びついたのが今の中元節で、地獄から戻ってきた「好兄弟(餓鬼のこと)」を慰める儀式です。街角の彼方此方に供え物が飾られます。台湾などでは紙で作った戯劇の舞台が飾られ、彼らを慰めます。

また台湾北部の宜蘭県で行なわれる「頭城搶孤」は勇壮なことで知られていますな。

広場に「孤柱」と呼ばれる柱が十本立てられ、その上に「孤棚」という棚が設けられます。そこから更に高々と「順風旗」が立てられ、それを取り合います。その高さはおよそ地上15階ほどにもなるんやとか。おまけに「孤柱」には、油が塗られ、若者たちは命綱をつけて競い合うです。えらい危険やというんで、清朝時代に一時禁止され、1991年になって復活したんやそうです。

シンガポールやマレーシアでは、この時期は「ハングリーゴースト」と呼ばれ大々的にお祭りが行なわれます。「好兄弟」を慰めるために「歌台(ゲイタイ)」と呼ばれる本物の舞台が広場に設けられ、派手な衣装に身を包んだ歌手たちが歌を披露します。

かつては戯劇が行なわれていたようですが、1970年代から現在の歌謡ショーの形態になったんやそうです。日本でも公開された「881 歌え!パパイヤ」は、この「歌台」で歌うことを生甲斐とする若い二人の女性を描いたコメディーで、サゲがなかなかようできた映画でした。

今回は地獄ということで「地獄八景亡者戯」を。

サバの残りに当たってで死んだ男が、伊勢屋のご隠居と再会します。
「伊勢屋のご隠居さん、ご機嫌さんで」
「こんな所で会うて、あんまり機嫌良うないわいな」
「お変わりもなく。」
「変わり果ててるやないか。」

そんなやりにくい挨拶をしておりますと、賑やかな一団がやってまいります。もうこの世でやりたいことはやりつくした若旦那、いっぺんあの世でも見に行こうと、なじみの芸者、仲居、たいこもちと一緒に、河豚を食うて死んだんですな。
若旦那一行が三途の川にやってまいりますと、亡者の衣服を剥ぎ取るという「三途河(しょうずか)の婆さん」つまり「脱衣婆」の姿がない。茶店で聞くと、着物を剥ぐような前時代的な風習が廃止になって脱衣婆は失業、閻魔大王に相談に行くうちにお互いに情が移って、婆さんは大王の二号に。そこで大王に都合してもろうて「バー・ババア」を開いたんですが、アルバイトに来ていた赤鬼と浮気をし、それが閻魔にばれて、地獄を追放になった。赤鬼は罰の力仕事で身体を壊し、婆さんは医者代、薬代に困って体を売るが、娑婆から来た亡者に悪い病気をうつされて六道の辻で「のたれ生き」。娑婆で四国八十八箇所をめぐって冥土に戻り、半生記を綴った本がベストセラーになって、今は講演などで活躍中やという。(このくだり、近年では、「冥土カフェ」を開いて大当たり、“アキバ”ならぬ“焼き場”の周りに多数の支店を出すというものあります。「焼き場だけに、燃え~」)

三途の川を鬼の渡しで渡りますと、六道の辻。一番広い通りが「冥土筋」、御堂筋は銀杏並木ですが、こちらは樒(しきび)並木です。地獄一の繁華街で、えろう賑やかなところです。「グランドキャバレー火の玉」では「幽霊のラインダンス」や「骸骨のストリップ」をやっております。幽霊がそうやって足上げるんか、骸骨がこれ以上何を脱ぐんや知りまへんが。

そういうのが苦手な向きには芝居、つまり歌舞伎がお薦めですな。なんせ、名優がみな揃うてます。中でも見物は「忠臣蔵」の通し。初代から十一代目までの団十郎そろい踏みで、判官も由良之助も師直もみな団十郎です。
寄席も三遊亭円朝が「牡丹燈篭」の続き噺、初代と二代目春団治の「親子会」、枝雀、米紫、吉朝、歌ノ助の米朝一門会。
念仏町で、罪が軽うなるようにと、銘々懐に合わせて念仏を買いまして閻魔の庁へとやってまいます。
亡者の一団が中へ入りますと、罪状に応じて判決が下ります。医者の山井養仙(やまいようせん)、山伏の螺尾福海(ほらおふくかい)、歯抜き師の松井泉水(まついせんすい)、軽業師の和屋竹の野良一(わやたけののらいち)が残されて、あとの者は極楽へと送られます。
四人はまず、熱湯の釜へ。ところが、山伏が水の印を結びますと、熱湯が日向水になってええ湯加減です。
そこで、針の山へ送りますと、軽業師が三人を体の上乗せて踊りながら上がって行きよる。
人呑鬼に喰わせていまおうとしますが、歯抜き師が歯を抜いてしまいまして、四人は噛み砕かれずに腹の中へ。医者が胃を切って、抜け出しますと、疝気筋という腹痛を起こすというところを四人で引っ張ります。
「痛たたたたッ、何という亡者どもじゃ。いつら便所行って出してしまわな」
しかし、四人は腹の中に居すわって苦しようと踏ん張ります。
「こいつらどうしても出よらんがな。もし大王様、こうなったら、あんたを呑まなしょがない」
「わしを呑んで何とする?」
「大黄飲んで、下してしまうのや」

大黄は瀉下剤として使われた漢方薬です。茎をジャムやパイの具にするルバーブもこの大黄の仲間で、わずかですが瀉下作用のある成分を含んでますので、敏感な人はお腹をくだすことがあるそうです。

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この噺は、滅びかけてたんを三代目桂米朝師匠が復活させはったもんで、米朝一門を中心に、今は結構な数の噺家が手がけるようになりました。構成は、閻魔の庁に行き着くまでと、その後との二つに大きく分けられ、前半は時事ネタを取り込んで比較的自由に、後半は型を守って演じられるのが特徴ですな。長い噺なんで、前半で切ることもようありますが、その場合、噺家によってはもう全く別の噺というてもええ程違うことも少のうありません。

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