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宇宙島へ5「ツィオルコフスキーの塔」

神話や物語の時代を経て、最初に科学的に天に届く構造物を構想したのは「ロケット公式」のところで名前の出たコンスタンチン・エドゥアルドビッチ・ツィオルコフスキーです。
「宇宙開発の父」とも呼ばれるだけあって、様々な構想を行っています。実は、現在一般的な多段式ロケットもツィオルコフスキーの構想によるものです。

しかし、当時は彼の構想を現実のものとするだけの技術は存在しませんでした。たしかに彼の構想の多くが後世になって実現していますが、彼自身にとっては、その構想は純粋な「未来への夢」だったと言えます。

では、ツィオルコフスキーを「未来への夢」に駆り立てたものとはなんだったのでしょうか。それは「科学空想小説」つまり今日の「SF」だったと言われています。

より具体的には、フランスの作家ジュール・ヴェルヌです。

1828年フランスのナントで生まれたヴェルヌは、20歳で父の勧めでパリへ出て法律学校へ進学し、父と同じ弁護士を目指します。しかし、文学への興味は尽きず、アレクサンドル・デュマ父子と出逢い、1849年に大デュマのプロデュースで、ヴェルヌの処女作である戯曲『折れた麦わら』が上演されます。これ以降、いくつかの戯曲を執筆します。そんな中、作家のエドガー・アラン・ポーが示した、科学的事実を小説に取り入れて真実味を持たせる技法や、友人フェリックス・ナダール製作の気球などに触発されて、1863年に冒険小説『気球に乗って五週間』を執筆、これが大評判となって流行作家となります。
1864年には、『地底旅行』を発表し、空想科学小説への扉を開きます。
そして、1865年に出版された『地球から月へ』( 『月世界旅行』)は世界的大ベストセラーとなりました。

そのうちの一冊がツィオルコフスキー少年の手に渡わたります。ツィオルコフスキーは10歳の時に猩紅熱に罹り、聴力をほとんど失ってしまいます。そのためほとんど学校に通うことができませんでした。しかし、努力を続け、モスクワの大学で教師の資格を得ます。故郷で中学の教師になったあとも、科学論文を執筆しては雑誌に投稿するという生活を送りました。『地球から月へ』によって示された宇宙への道を模索し続けたのです。

さて、ツィオルコフスキーが構想した天にいたる構造物とはどんなものでしょうか。

彼は、1895年に発表した「地球と宇宙に関する幻想」の中で、「宇宙塔」とでも言うべき構造物を描写しています。

赤道上にまっすぐ天に向かって塔を建てるとします。地上からその塔を登っていけば、地球の引力は徐々に小さくなり、身体が軽くなっていきます。しかし、2つの物体間に働く引力は決して0にはなりませんから、本来であればどこまで行っても地球の引力を感じるはずです。
ところが、地球は自転しています。当然地球上に建てられた塔も地球の自転と同じように一日で一周します。すると、塔を登っていけば登っていくほど、回転してる速度は大きくなっていく(角速度は変わらないが移動距離が大きくなっている)ので、遠心力が大きくなり、それが引力を打ち消していきます。そして、赤道上空36000kmに達したところで地球の引力と遠心力がつりあいます。その結果、この高度では無重量状態になります。

これがツィオルコフスキーの宇宙塔構想です。この構想は力学的には無理はありません。

しかし、彼は一体どこからこのような発想を得たのでしょうか。ヴェルヌのSFにもこのような塔は登場しません。

どうもこれは、1889年に完成したパリの「エッフェル塔」に刺激を受けて構想されたものではないかと言われています。

エッフェル塔

「エッフェル塔」はその構造が「東京タワー」と似ていますが、本来の目的はまったく違います。
「東京タワー」は2018年にその役割を完全に「東京スカイツリー」に譲り渡しましたが、広い範囲に放送の電波を送り届けるための電波塔として建設されました。
一方の「エッフェル塔」は、後に電波塔として使用されることになりますが、当初は鉄骨とトラス構造による建築物の優秀さをアピールするためだけに、ギュスターヴ・エッフェルによって設計・建設されたたものです。

つまり、ひたすら軽く頑丈で、高い建築物であることだけを目指して建設されたものと言えます。

そこで、ツィオルコフスキーは、鉄よりももっと頑丈な素材ができたなら、同じようにして天まで届く塔が建てられるかもしれない、と考えたようです。しかし、ツィオルコフスキー自身が「自重で崩壊するため、素材的に建設は不可能である」と注釈もつけているように、高さ36000kmに及ぶような構造物は、当時の技術と材料では、とてもではないですが実現不可能でした。
いえ、現在に至るもツィオルコフスキーの構想を現実のものとはできていません。

高層建築

現在正解位置の高さを誇るサウジアラビアの「ジッダ・タワー(キングダム・タワー)」が約1000mですから、高度36000kmまでは全く足りません。

実は、1990年前後の日本がバブル景気に湧いていた時代には、「ジッダ・タワー(キングダム・タワー)」を超える、誇大妄想的な超巨大建設「メガストラクチャー」がいくつも構想されました。
竹中工務店が1989年に構想した高さ1000m、床面積800haの「スカイシティー1000」。
大林組が1989年に構想した、東京湾上の人工島に建設する高さ2001m、500階建ての「エアロポリス2001」。
大成建設が1990年に構想した高さ4000m、800階建ての「X-Seed4000」。
そして、1992年に早稲田大学理工学部建築学科の尾島俊雄研究室が提唱した「東京バベルタワー」。高さ10000m、山手線の内側すべてを建設用地とする、現在に至るも構想された最も巨大なビルディングとされている「メガストラクチャー」です。

1989年連載開始の士郎正宗『攻殻機動隊』は、まさにその時代の雰囲気を反映しており、最初のコマには林立する「メガストラクチャー」が描かれています。

メガストラクチャ攻殻機動隊

しかし、それですら10kmでしかないのです。宇宙と呼ばれるところは高度100km、静止衛星軌道は36000kmです。まったく足りません。

ツィオルコフスキーの「宇宙塔」がいかに「夢物語」であったかがよく分かります。

さて、ここで、高い構造物を作るために必要な概念を、ツィオルコフスキーの当時もっとも一般的であったレンガを例にして考えてみましょう。

まずは、シンプルにレンガをただまっすぐ上に向かって積んでいく場合を考えてみす。現実にはそんな建設は不可能ですが、まずは概念的に理解したいので、条件を徹底的にシンプルにした例から考えることにします。

レンガ積み

積み上げたレンガの中のあるひとつのレンガiに注目してみます。このレンガには、当然質量が存在していますから重力mgがかかっています。mはレンガの質量、gは重力加速度です。

そしてレンガiはのレンガから押され、下のレンガからは自身の質量と上のレンガからの力の和に対する反作用で押し返されています。
つまり、上の図のように上下から圧縮するように力が作用しています。このような力を「圧縮力」といいます。

レンガがきちんと積みあがっていると言うことは、この3つ力が釣り合っており、この場合、

圧縮力の釣り合い

が成り立ちます。そして、レンガの強度がその圧縮力を上回っているということです。

レンガをどんどんとまっすぐに積み上げていくと、力はすべて鉛直方向にだけ働きます。その結果、その重量はすべて一番下のレンガにかかり、圧縮力は最も大きくなります。
レンガを目的とする高さまで積み上げられるためには、その圧縮力にレンガが耐えられる必要があります。耐えられなくなったら、当然ですがレンガは圧縮によって崩壊します。
この圧縮力に耐えられる強さのことを「圧縮強度」といい、Pa(パスカル)という単位で表します。天気予報でよく聞くHPa(ヘクトパスカル)のPaで、これは単位面積に作用する力を表す単位で、圧力に用います。単位面積というのは1m四方つまり1平方m、力の単位はN(ニュートン)なので、以下の式が成り立ちます。

パスカルとニュートン

一般的なレンガは21cm×10cm×6cmで重さは約2.5kg、圧縮強度は大体30Mpa程度です。耐えられる力をF、面積をA、圧縮強度をσとすると、

レンガに掛かる力

となります。ここでF=mgであることから、Fを重力加速度gで除すれば、質量m、つまりグラムを単位として求めることができます。

レンガに掛かる力をぐらむで

およそ64tということになります。レンガ1つが約2.5kgということは、25600個分になるので、これをもし、まっすぐに積み上げた場合は153600cmつまり1.5kmほどになります。
思ったよりも高くなったのではないでしょうか。しかし、建物として考えた場合には、風や地震によるゆれや、内部の空間、そしてその中に入る人や物の重さも考えなくてはいけませんから、実際には、レンガでこのような高い構造物を作ることは不可能です。

【参考】
・佐藤実 (2011)「宇宙エレベーターの物理学」オーム社
・石原藤夫・金子隆一(2009)「軌道エレベーター 宇宙へ架ける橋」早川NF文庫
・佐藤実(2016)「宇宙エレベーター その実現性を探る」祥伝社新書
・石川憲二(2010)「宇宙エレベーター−宇宙旅行を可能にする新技術」オーム社
・B・C・エドワーズ、F・レーガン、関根光宏(2013)「宇宙旅行はエレベーターで」オーム社
・青木義男(2012)「宇宙エレベーター 人類最大の建造物」季刊大林53,p26-29
・大林組プロジェクトチーム(2012)「『宇宙エレベーター』建築構想 地球と宇宙をつなぐ10万キロメートルのタワー」季刊大林53,p30-59
・石川洋二(2012)「2050年宇宙エレベーターの旅」季刊大林53,p60-61

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