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【歳時記と落語】節分・立春

暦の上では今日からが「春」です。大概、2月4日で、その前日が「節分」となります。「節分」というのは、昔は年に四回あったそうです。節、つまり季節の分け目やさかいに、そら四回あっても不思議やない。立春、立夏、立秋、立冬の前の日になるんやさかいね。

その中でなんで立春の前の節分だけ残ったかと言いますと、立春で年が改まるというのんで、節分が年越しになっとったんですな。というのも、昔の暦やと、大体立春の前後、3週間ほどのうちに1月1日、中国で言うところの「春節」もきます。それで季節の変わり目と年の変わり目、この二つが重なってるところやというのんで、最後まで残ったんですな。

私らが小さい自分にはまだ年寄りは「節分」のことを「年越し」と言うてましたな。今はもう言わんようになりました。風習でもおんなじで、豆撒きやら鰯の頭やらは今でも残っとりますが、もうやらんようになったんも幾つかあります。

大阪では昔、年越しの晩には「よばし麦」というて、蒸したり水につけといたりしてふやかした麦を食べたんですな。せやから、年越しの日にはこの「よばし麦」売りがようさん町中を売り歩いたそうで、まあ、こんな年に一回てな商売、それだけやってるてなことはおまへんので、大抵年越しの日だけ小遣い稼ぎに遣る人が多かったようで。

も一つが、「厄払い」ですな。訳のわかったようなわからんような、縁起のええ言葉を並べた文句を言うて、一家の厄を払うて回ります。

「あぁ〜ら目出度やな、目出度やな。目出度いことで払おなら、鶴は千年、亀は万年。浦島太郎は三千歳、東方朔は九千歳、三浦のおおすけ百六つ。かかる目出度き折からに、如何なる悪魔が来よぉとも、この厄払いが引っ掴み、西の海へさらり、厄払いまひょ …… 」

年に一回のことですが、毎年毎年、誰が遣ってもおんなじ文句やさかいね、もう子供でも覚えて言えたそうですな。それが言えんで失敗する男がでてきますのんが、落語の「厄払い」ですな。

最近では、豆撒きも学校やらで行事ではやってるようですが、あんまり家庭でやってるのはみまへんな。昔は「鬼は外、福は内」の掛け声が、そこら中で聞こえたもんです。その場合、鬼の面をかぶって追われるんは、まあ父親の役目でしたな。

赤鬼に青鬼、色々おますが、大概は頭に角、牙があって半裸、虎革を腰につけております。この角は牛の象徴で、牛と虎、つまり丑寅=東北の方角=鬼門を表しているやそうです。

「鬼の面」というと、怖いようでも何とのう愛嬌のあるもんもありますが、凄みと悲しさを漂わせるんは鬼は鬼でも「般若」ですな。上方落語の「鬼の面」には、この「般若」の面が出てまいります。

大阪のある商家に子守奉公に「おせつ」という女の子がおります。十二とは言うてもまだまだ幼さが抜けませんで、親元を離れて心細い思いをしております。そこで、毎日毎晩お多福のお面を母親と思って語りかけております。お多福の面が母親の顔にそっくりなんですな。

ある夜、旦那がおせつの部屋から聞こえる話し声を不審におもうて、翌日部屋を調べてます。すると箱の中からお多福のお面が出てきます。いたずら心を起こした旦那は、このお多福の面と、鬼の面・般若の面を入れ替えます。おせつの方はいたずらやとはしりまへん。鬼の面を見て、母親になんぞ変があったに違いないと、池田の実家まで歩いて帰ることにします。

上方落語の旅噺「北の旅」である「池田の猪買い」でもあるように、当時大阪の中心、今の本町や船場あたりから池田まで歩いていくとなると、これはもう立派な旅でした。

池田の山手へかかった頃にはもう日も落ちております。月明かりで山道を歩いておりますと、お堂の前で男に呼び止められます。博打場の見張りをしているといいますが、寒なって火をおこそうとするんやが、起こら。不器用な自分に代わっておこしてくれ、というんですな。男がお礼にと寿司やらお菓子やらを取りに言っている間に、おせつは枯葉や枝を集めて火をいこしますが、松葉なんぞが混じっていてえらい煙です。あんまり煙たいんで鬼の面を顔につけた。。そこへ男が戻ってきます。と、ちょうどボっと火がついた。すると暗がりに鬼が浮かび上がる。男はあわてて博打場に駆け込みます。
「えらいこっちゃ、出た、みんな早よ逃げ」
警察の手入れやと思うて、みんな蜘蛛の子を散らしたように逃げてしまう。おせつの方は気が急 いているので、そのまま家へ帰ります。
実家へ戻ってみますと、母親には何の変わったところもない。だれぞがテンゴしよったに違いないのに、子供というのはと、ほほえましい思う父親ですが、店の人に断りもしないで戻って来たということを知って、すぐに店まで送って行く事にします。
途中、お堂の前で、ここであったことを父親に話します。父親が、お堂の中を調べてみますと、お金が散らかったままになったある。そのままにはでけんというので銭を手ぬぐいに包んで持って行きます。
一方、お店の方でも、おせつの姿が見えんというので、お店の者総出で行方を捜している。旦那はお上さんが実は陰でいびってたんやないかといいだす始末。
ちょうどそこへ、父親に付き添われておせつが戻って来ます。店のもん一同安心して、理由を聞いてみますと、鬼の面のせい。騒動の原因は旦那のいたずらやということで、旦那は面目丸つぶれです。
さて、父親はすぐに先ほどの金を警察に届けようとします。旦那に言われて店のもんが確かめますと、二百円という大金。しかし、博打の金でっさかいに、名乗り出る者はないやろうとということになる。
「ほな何でんな、旦さん。わたし、来年になったら大金持ちでんな」
「まぁまぁ、そういぅこっちゃな」
「あ、今この鬼の面が笑ろたで」
「そら、来年の話をしたさかいやろ」

さて、節分と申しますと、昨今は「恵方巻き」がえらい人気ですな。その歳の恵方に向こうて黙って太巻きを丸かじりにするというのが作法です。私らは子どものころからしてような覚えがありますが、今でもそんな風習は知らんという方も多いんやないかと思います。それもそのはず、この「恵方巻き」は大阪が発祥のもんなんです。もうよっほど昔の話ですが、どうも元々は船場あたりの商家で「丸かぶり」というてやっていたのが、花街で遊びとしてはやっったんやそうです。誰ぞ旦那衆が面白がって芸子はんにやらせはったのがその始まりやと思います。戦前には大阪の寿司の組合や海苔問屋の組合やらが、仕掛けて恒例の行事になりました。大阪では1970年代にはかなり一般的になってたようです。

これが全国へ広がるんは、1989年に広島のセブンイレブンが売りはじめたんがきっかけやそうです。全国に広まったんは1998年以降やということです。

こんなけったいな風習がなんで全国に広がったかというと、コンビニというえらい店舗数のもんが一斉にやったこともありますが、何と言うても主婦に受けがよかったからやそうですな。そりゃまあ、買うてきたらええんやさかいね。鰯を食べるところやと、まあ煙がえらい出るよってにこれも買うてきた方が宜しいということになる。そうなると、後はもう、吸い物ぐらいがあったら、これもインスタントでかましまへんわな、それで晩御飯の用意が終わってしまう。たまには楽したいという奥さん方は大歓迎という訳ですな。

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