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アーネスト・ヘミングウェイ『誰がために鐘は鳴る』


 「誰がために鐘は鳴る」を読了。この本を手に取った時は、何かに悩んでいて、精神的にキツイ時期だった。
 戦争という生と死の隣り合わせの状況で、どのように考え、行動し、乗り越えていくのかをこの本を通して得られれば良いなと思って、手に取った。もちろん、ハードボイルドな世界を生きる主人公としがないサラリーマンとでは住む世界は違うわけだが…。ただ、どんな苦しみも重たいとか、軽いといった尺度で比較は出来無いし、その人にとってはどんなものも深刻な苦しみで、重たくなり得るのだと思う。

 物語はなかなか重たかったのだけれど、ぼくがこの本から学べたのは「自分の言葉を持つ」ということだった。極限の状況に追い込まれた時に、自分の気持ちを和らげ、支えてくれる言葉があったら良いなと思う。それは、祈りの言葉でもなんでも良い。「向上心の無いものはただのバカだ」と自分を鼓舞しても良いし、「何もしなければ時間はたくさんあるが、何かをしようとすると時間は足りない」とか、なんでもいい。苦しい時に乗り越えられる言葉があれば良いなと思った。

 本を読んでる途中、自分の言葉が欲しくなり、あれこれ考えた末に、僕はこの言葉にした。

 「神よ、願わくばわたしに変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ」

 ずっと前に読んだカート・ヴォネガット『スローターハウス5』の名言。ニーバーの祈り。変えられない物事、変えられる物事、その二つを見分ける知恵。「変えることのできる物事を変える勇気」は、過去を振り返れば何度もあった。今までの自分を捨てなければ、新しい自分にはなれない。新しい自分になるには、勇気がいる。どんな事が起きても、乗り越えられると自分を信じて生きていくしない。人生は選択の連続だ。本を読む前と読んだ後で自分の立ち位置が少しズレてる事に気がつく。また一つ、ぼくは困難を乗り越えられたのだろうか?

自分の言葉を持とう。

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