私に武術を習う上で知って貰いたい定義の話

何故私の主観で定義しなければならないのかというと、言葉の意味等は時代によって変化する物だからである。

例えば、現在の中国武術Wikiの文章と、五年前の文書は内容が変わっている。

基本的に進展のない流派なので、内容が変わると言うことはない筈だが。

事実として、一般的には変わってしまう。

気功とは何か?

主観だと、気を扱うということ。

気を見る、気を動かす、気を効率的に扱う方法等も含まれる。占いや、祈祷、武術もまた気功の一種。

思考、意識を扱うのも、気功の一部であると言える。

非常に広義な物。

練功とは何か?

主観だと、気をコントロールする事。

気の特性として、一度そこにあった物は、もう一度そこに存在し易いという性質がある。

その為、意識的に繰り返し、気を流したり、留めたりする。

その結果、気を意図してコントロールしやすく出来る。

気功の方向性を決めた物。

鍛錬とは何か?

主観だと、鍛えるという事。
意識も鍛える事も出来るが、最も表に出やすい特徴として、自身の筋肉が破壊されるという事。
「筋肉痛を伴わない(その可能性のない)運動は、鍛錬に在らず」というイメージが、私にはある。

練功に含まれる場合もある。
主に「肉体」を鍛える事が鍛錬。

武術では、内臓を鍛えるという言葉が、良く用いられる。

実際には、内臓は余り鍛えられない。
(整えることは可能)

その為、内臓周辺の筋肉である、インナーマッスルを鍛える(負荷で破壊する)事が多い。

その為武術では、鍛錬という言葉が多用される印象がある。

分からないなら「練習」でいいと思う。

理解を深める為に、逆説的に考えてみる。

自身の筋肉を破壊して、鍛える事を鍛錬と仮定した時。

自らの筋肉を破壊せず、練習する事を何というか?

その場合は「肉体の運用を主にした練習」であると言う事が出来る。

鍛錬という言葉を当て嵌めるよりも、練功(運用)という方が、適切であると言える。

意識を主に扱うのが練功。

例えば、対人で相手よりも一瞬でも早く動く事を目的とした、意識を鍛える練習があるとする。

それは練功に分類され、鍛錬にはなりにくい。

しかし、例えば第二の心臓である脹脛を鍛え、血流を増進させ、思考能力を上げる事を目的にした場合は、鍛錬にも練功にも分類される。

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