写真との巡り合わせから、現在へと繋がった転機。広告カメラマンに再び戻ってきた理由
お初にお目にかかります、ヒコプラスタッフのりーさんです。
ヒコプラでメディアについての編集会議に参加したり、先日アップされたアートアクアリウムなどの内覧会に参加して、日々写真を勉強している新米です。今回は初めてヒコノートの執筆にチャレンジします!震える手でお届けします(今も震えてるのは秘密)。
今回は、ヒーコWEBマガジンで公開した「小山一成| MY PERSPECTIVE」という小山氏の視点や哲学、またご自身の作品を交えて写真家としての姿勢について魅力たっぷりに語っていただいたインタビューで掲載しきれなかった、エピソードを紹介していきます!
ちなみに・・・▼ヒコプラ(ヒーコプラザ)とは?
略してヒコプラは、人数限定でおこなっている「写真の新しい楽しみを発見し・発信する」をテーマにした取り組みです。現在80名程度のメンバーが参加中。今後の応募などについてはまた後ほどリリース予定。
ボランティアから生まれた新たな出会い
スタジオカメラマンとして活動を続けた後に、写真の世界をしばらく離れCGIのディレクターをしている際に3.11(東日本大震災)が起こりました。その時、既に50歳。
災害支援は泥かきの様な肉体労働のイメージが強く、ボランティアをするならこれが体力的に最後かもと思い、岩手県の山田町という小さな漁師町に行きました。
山田町は人口1万8千人の町です。そこでは震災で死者千人ほどにもおよび、町の中心地の約8割が津波と大火事被害で消滅した町です。
そこで避難所の炊き出し支援にボランティアとして参加すると、現地で様々な人と繋がりができ、その後2年の間に約20回ほど休みを取っては通いました。今でも当時出会った人たちとは繋がっています。
写真との巡り合わせ
当時、町中は焼け跡と瓦礫の山。腐敗臭が消えず、津波で上がった汚泥が砂埃になって舞うような最悪の状態でした。しかし、ある程度片付いてくると港から見える素晴らしい海と山、そしてどこまでも透き通った空がそこにはあったのです。
宇宙の端っこが見えているのかと思えるくらいの綺麗な空。そこに射し込む太陽の光は見たことないくらいの綺麗な色彩。美しい景色がそこにある事に気がつくと、港で写真を撮るようになっていました。そうして自然や風景の写真が大好きになりました。
そして現在へと繋がった転機
東日本大震災で培ってきた経験は今の仕事にも関わっている部分があり、今現在の最大のクライアント(JR東日本)との仕事では、その時のトライアンドエラーの繰り返しが生きています。
こうした経験は新たな人達の出会いをもたらしてくれました。その頃撮った写真をFacebookに作ったページにアップすることを続けていると、それらに興味を持った広告業界の人たちが集まり、情報交換をし、結果として約200名ほどのグループができました。
そして皆さんがそれぞれの縁が出来た被災地に向かいました。そんな経験が自分のキャリアの大きなターニングポイントとなりました。
この写真は津波大火で消失した山田駅前と大きなモミの木です。これらの写真とページは役目を終えたので、今はクローズしました。
小山一成
2020年 株式会社proble(フォブル)設立
最後に
小山一成氏の写真との転機についてのエピソード、いかがだったでしょうか?
いつもMY PERSPECTIVEを読んでいるのですが、仕事としての写真家に焦点が合う回が多い中でこの回は、「自分の写真を必要としてくれる方たちがいる」や「言葉のいらない写真家」といった写真というトピックには収まりきれない人生観にも当てはまるフレーズが胸に突き刺さってきたのを覚えています。今回のエピソードを聞いて自分の中にもきっかけや転機となる様な出会いがあるのかなぁ〜と感慨に耽る自分がいました。もっともっとこういったお話を聞けたら良いいですね。
以上、りーさんからでした!
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