家族って

なんだろう。

こんにちは、雪です。家族との付き合い方って難しいですよね。今日は少し暗い話になってしまいますが、私と家族の話を自分のために残そうと思います。

まず、私の家族について。あまり詳しいことは身バレ防止のため言えませんが、私の家は母、父、私、妹の四人家族です。四人と言っても父親は週に一度しか帰ってきません。仕事の都合でというのが建前ですが、週一で限界だというのが本音なんだと思います。

そして、母。私は母との関係に悩み続けています。今も。上で述べたように父はほとんど家にいない存在なので、私の家では母のパワーバランスが非常に強いです。これが悩む理由の一つだと思います。

私は幼いころ、ほとんど褒められた記憶がありません。いつも毎日ずっと誰かに叱られていた記憶が強く残っています。母に聞くと、私があまりにできの悪い子供だったから、怒らなければいけなかったそうです。確かに私は家族の中で浮いていると感じることがたくさんありました。今もそうです。人より要領が悪いと損するんだな、、なんて思ったりしました。

時は進み、小学生高学年の頃からは言葉での暴力に加えて身体への暴力も増えていきました。ここら辺は苦手な方は飛ばしてください。例えば、私が何か口答えすると叩く、髪を引っ張り引きずられる、家から出される、椅子に座っているときに横から押され、落とされる、ビンタされる、モノを投げつけれる、、など。これらは母がヒステリーになったときに起こったことでした。ちなみに、言葉での暴力というのは実をいうと何を言われたのかもうあまり覚えていません。私の脳が必死に消そうとしたのかもしれません。笑だからといって、酷い言葉を投げつけられて、傷ついたことは事実です。

ここまで見ると、なんてひどい親なんだと思う方ももしかしたらいらっしゃるかもしれません。でも、そんなことはなかったと思います。父親というもう一人の親があてにならない中、私と妹をここまで育ててくれたことは事実ですし、お金だってたくさんかかったことでしょう。ここまでそだててもらったことには感謝しています。

そして、昨年の初めに私が母との言い合いで過呼吸になり救急車に運ばれてからは目に見えて母は私に気を遣ってくれるようになりました。小さいころに言われたかったような言葉をかけてくれることも一気に増えました。これからはうまくいくんだろうな、となんとなく感じ始めました。でも、それは間違いでした。

今でも母の機嫌を損ねてしまうと、私は必ず過呼吸になるまで泣き、家の中の空気が一気に悪くなります。簡単に言うと、これが母に怯えながら育った私の最大の後遺症だと思います。少し話が繋がっていないかもしれませんが、私は常に母に怯えながら、母の機嫌を悪くしないように、なるべく気を遣って生きてきました。そうすることで自分の身を守っていました。しかし、母の地雷原というのはどこにあるのかわかりません。うっかり機嫌を悪くしてしまうと、明らかに母の顔には怒りの文字が現れ、声は下がり、そして必ず嫌味を言われます。こうなるとおしまい。私の脳内はパニックになり、上のようになってしまいます。きっとこれは、私がいくつになろうと、母とどれだけ話し合おうと、全く変わらないことだと思います。というか、母は自分の考えを曲げない人なのでまともな話し合いができません。笑

なんで私はこんなに家族と上手くやっていけないんだろうと悩むことが今まで本当に多くて、辛かった。仲の良い家族を見ていると、羨望のまなざしを向けてしまうことばかりだった。いつも自分ばかりを責めて、私が変わればうまくいくんだと思い込むこともあった。でも、家族ってそんなに簡単なものじゃない。それがいろいろ経験した私の答えです。つらい思いもたくさんしたけれど、楽しい思い出だってあった。私の好きな言葉に「人生は伏線回収」というものがありますが、きっとつらい経験はいつか私の身を守る盾になってくれると信じたい。そんなところです。

急にこんなことを書きたくなったのは、今絶賛やらかし中だから。あと一週間くらいすればもとに戻るかなー。笑

それでは今回はこの辺で。良いゴールデンウイークをお過ごしください!


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