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孟子と荀子と告子

大家好。
中国語が大好きな日本人の小兔子(ウサギ)です。

オンラインサロン内で(Facebook)のメンバー向けに
中国語の文法や成語の話をしているのですが、
昨日の成語「专心致志(一心不乱に精進する)」の由来が
孟子が語ったことにあったので
少し孟子について調べてみました。
すると荀子と告子も出てきたので、今日は三人が説いた
「性善説」「性悪説」「どちらでもない」
という話を自分がやってる子育てに重ねてみることにしました。


孟子

孟子が語る性善説は、人は生まれながらにして善である。(善の定義については解釈さまざまあるかと思います)
だからその善を伸ばすために教育が必要だし
悪の道に進んだ人もあくまで一時的なことであって
ちゃんと更生してあげれば、もともと持っている善の心が戻ってくる。

ざっくりいうとそういうことでした。
まあ、なるほどなあという感じです。
たしかに子育てしている私にとっては、自分の子供が最初から悪であるというより
善である、と言われた方が納得がいくような気もする。


荀子

逆に荀子が唱えたのが「性悪説」である。
人は放任すれば悪の道にそれていくのが、ちゃんと教育を受けることで善になる。
つまり善はあくまで後付けなのだと。

二人の説いた内容は一見真逆に見えるものの
共通点は「教育って大事」ということである。

たしかに2歳ぐらいの子供って
別の子供が遊んでいるおもちゃを奪って、自分が遊び出したりする。
取られた子がギャーギャー泣いてても素知らぬ顔。
周りの大人が慌てて、何がいけないのかと諭して教えていく。

すると徐々に子供も人の物を奪ってはいけない、ということを
学んでいくのである。

大人の世界だったら、自分のスマホをバッと奪われて
勝手に遊ばれたら、気持ち悪いし、警察呼びたくなるレベルである。

2歳の子供は何もわかっていないわけだから、大人が必死になって
「お友達のおもちゃは取ったらダメなんだよ〜」とか
「一緒に遊ぼうって声かけてみようか〜」とか
「飽きたら貸してって言おうね〜」とか
「自分がされたら嫌なことはしちゃだめだよ〜」など
話が通じるか通じないかわからない年齢の子供に対して
なん度も教え込むのである。

まさに善の教育である。


告子

三人目の告子は、
人は善でも悪でもなく環境に染まるという「性無善無不善説」を説いている。

この中間的なアイデアは、私個人、子育てしているなかで
そうかもしれないな〜と一番納得できた説のような気がしている。

最初から悪の子もいなければ、善を知っている子もいない。
教育や環境により学んで身につけていくものなんだと思う。

いずれにせよ、「教育」というのはとても大切なことであることは間違いないし、子供であればあるほど、誰か大人の手を借りて、教育されていくんだと思う。
自分たちが育てた子供たちが次の世を作っていくわけで
自分も歳を取れば、大人になったその子供たちと関わりながら
老後を過ごしていかねばならないわけだから
子供が育てばあとは知〜らないということでもないのである。

もちろん、親だけの責任でもないし、
(主に親がその責任を担ってはいるものの)
周りの大人たちの役割も思ったより重要かもしれない。


余談です。
孟子、告子を調べていたとき、ChatGPTが

「告子は孟子の作り出した架空の人物で…」と

トンチンカンな答えを出してきてびっくりしました。
ChatGPTによると、孟子は告子という架空の人物と語り合っていたというのです。嘘だろ、おい。

告子は生没不明とされていますが、ちゃんといたよね。。。?


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