八月の鯨は大きな口を開けて私に迫ってきた
全てを飲み込む勢いで私を待ち構える
食べられる
光が差し込まない喉の奥で大粒の汗をかいた
水流に身をまかせて目を瞑る

ピンク色のトンネルを抜け
着いたのは広場
そこには同じように飲み込まれた小さな魚達が胃の中で暮らしていた
彼らはこの場所に楽園を築いたらしい
海中の民は私を大いに歓迎し
快適な水温に包まれながら盃を交わした
鯨を包む海とは正反対の温かさがここにはある
心地よい

今日は少し呑みすぎたみたいだ
酔ったお喋りな私は多くを語り過ぎた
彼らにとって不必要な言葉が760Lの空間に溢れかえる
飲み込まれる前の恐怖
このまま何処へ向かうのか
そんな言葉達はこの場所に必要ない
私は急いで拾い集めようとした
しかし彼らは私の手を止める
何故
促されるがままに彼らと待った

どのくらい待っただろうか
永劫か刹那かも忘れてしまった
あるとき散らばった言葉は胃のひだを通り抜けて鯨の血管を進んだ
それらは鯨の身体に浸透し
夏を流れる巨体の一部となった
どうして
どうして鯨は私の残した言葉を吸収してくれたのか
胃の中で佇む私にはわからなかった
あの言葉には哀しみも含まれているのに
鯨は全てを受け入れて泳ぐ

彼らとはお別れの時がきたらしい
私は礼を言いトンネルを進んだ
穏やかな渦に運ばれると
生ぬるい水中に抜けた
暗闇から解放され光を掴む
海面から顔を上げると暦の上では九月になろうとしていることに気づく
空気は楽園よりも涼しかった
照りつける太陽光線は私のように散乱している

私の言葉をのせた八月の鯨はもう何処にも見えない

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