子供が先立つことNo2

noteデビューの記事読んでいただいた方ありがとうございます。今回は書かせていただいた記事の後編です。

20歳代のKさんの最期の入院の時に、お母様がKさんを散歩に誘い、大量の写真を撮って来られ、受け持ち看護師の私に、最もいい写真を選んでくださいといわれました。私は、深く考えず、笑顔のいい1枚の写真を選びました。

そして、Kさんはその数日後、ご家族が見守るなか旅立ちました。私は、休みの日でした。後輩から「お見送りに来ませんか」と連絡がありました。私は、なぜか、お見送りに行きませんでした。

でも、気になってお通夜に行きました。すると、大きな斎壇に私が選んだ写真が飾られていました。お母様は「これからも、仏壇で毎日見る写真だから、最もKさんらしいのにしたかったのであなたに選んでもらったの」と言われました。

お母様は、長い期間来るべき喪失と戦いながら、少しずつKさんのいない世界を受容しようとされてきたのです。「親が子供の喪失を受容できるはずがない」という固定観念に縛られていた自分が恥ずかしくなりました。

後日談です。

看護師がしてはいけないことですが、私は、Kさんのラインアカウントを知っていたので、Kさんが亡くなった直後に、誰も読まないだろうと思い、Kさん宛に長文のラインを送信しました。

Kさんのお葬式にはそのライン文章の一部が詠まれたと聞いています。

Kさんがいなくなることを受け入れられなかったのは私のほうであったと気づきました。

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