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滅私奉公が不幸を生む

私利私欲を捨て、主君や公に身をささげることを「滅私奉公」という。
昔から日本人に好まれ、今もなお美学として受け継がれている思想だ。
僕はこの思想があまり好きではない、というか危険だなと思っている。
日本ではこの思想が美しいと思っている人が大勢いることは知っているし、どういう思想を持とうが自由だから批難するつもりもないが、他人に強要するのは勘弁してほしい。

日本で生活していると、滅私奉公の思想が文化や人々の精神に深く刻まれていることを肌で感じる。
皆、そういった精神を持ち合わせることを暗黙の了解としているようだ。
日本人が勤勉で協調性があって自己主張が苦手で権威に従順なのは、滅私奉公精神の表れではないか。

滅私奉公の思想は、主君(公)側からすれば大衆をコントロールしやすいというメリットがあるが、付き従う側のメリットは何だろうか。

生活が保障される?
国が豊かになる?
皆と一緒だから安心?

確かに、今の日本は生活が保障されてるし物質的には"豊か"と言えるだろう。
マジョリティであれば負い目を感じることも少ない。
だが、精神的な豊かさはどうだろう。
サービス残業、過労死、子どもの自○の増加…、数えたらキリがないほどに問題を抱えている。
滅私奉公の精神を強要してきた結果、ひどく生きにくい世の中になってしまったのではないか。

権威や大衆に流されて、大事なものを見失えば心が疲弊していく。
”私”を滅すれば、自分の尊厳が蔑ろになる。
そもそも、自己犠牲のもとに成り立っている国の幸福度が高くなるわけがない。

想像してほしい、あなたが入院患者だとしたら「多忙で余裕のない看護師」と「朗らかで自身に満ちている看護師」どちらに介助してほしいだろう?
おそらくほとんどの人が後者を選ぶだろう。
前者に対しては、「ありがたいけど忙しいのに申し訳ない」という気持ちを抱くが、後者は感謝の気持ちと同時に元気を分けてもらったような気持ちになる。
どちらが幸福かと問われれば明らかに後者だ。

幸福感は”私”が満たされたときに感じるものだ。
そしてそれは、個人の中だけに留まるのではなく、関わる人にも伝染していく。
”私”を満たすために自己主張したり、付き従う相手を変えたりすることは、自己中でも我が儘でもない。
自分を大切に思うのなら必要な行動だ。
世の為人のために汗をかくことは素晴らしいことだが、”私”を滅して不幸になってはいけない。

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