建築漫歩 vol.6 東雲キャナルコートCODAN
「東雲キャナルコートCODAN」 1街区山本理顕設計工場 / 2街区伊東豊雄建築設計事務所 / 3街区隈研吾建築都市設計事務所 + アール・アイ・エー設計共同体 / 4街区山設計工房 / 5街区ADH / WORKSTATION 設計共同体 / 6街区元倉眞琴、山本圭介、堀啓二設計共同体/東京都江東区
東雲キャナルコートは東京都江東区の東京メトロ有楽町線辰巳駅から徒歩およそ10分の所に位置している。豊洲のマンションが立ち並ぶちょうど中心あたりである。ここでは、敷地の中心にS字のアヴェニューが走り、その両端に6区画された棟が建ち並ぶ。それぞれの区画を建築家一人一人が担当して計画した、非常にユニークな団地である。一街区は山本理顕氏、二街区は伊東豊雄氏、三街区は隈研吾氏などというようになっている。今回は一街区及び二街区に焦点を当てる。
東雲キャナルコートのS字のアヴェニューの場所では、写真のように一階部分に店舗や教室、クリニックなどが入り、団地の人々にとって利便性が高い計画になっている。単なる下駄ばきのマンションではなく、店舗の上はデッキのようになっており、子供たちが遊べるような空間が設けられている。4メートルほど(見た感じ)の高低差があり、上下方向につながる立体的な空間となっている。団地内を歩いている感じでは、住人は主として自転車を使って移動していることが多いように感じた。非常に込み合っているといった様子もなく、非常に好印象の団地であった。
一街区を設計したのは山本理顕氏、二街区を設計したのは伊東豊雄氏であり、いずれもグリッドが目立つファサードとなっている。外観は、単なるボックスのように感じるが、ところどころで穴が開いており、そこがパブリックスペースとなっている。もちろんだが、内観の見学に行くことはできなかったため、写真がないが、新建築2003年9月号を参照するとよい。近年マンションや公団において近隣住民との関係性が皆無になりつつある。これは生活の水準が下がり孤独感が増すだけではなく、犯罪が起こりやすかったり、近隣住人の体調などの異変に気付いたりすることもできなくなる。非常に大きな社会問題と化している。そこで東雲キャナルコートCODANの一街区では、プライベート空間とパブリック空間のちょうどはざまに当たる新たな空間をfルームとして、近隣の人々と何かしらの関係性を持てるように計画されている。内廊下で住戸が連なっており、廊下側にfルームを設けている。そのため、従来の住戸とは違い、水回りが外壁側に移動している。この点が非常にユニークであると感じる。このfルームはガラス張りで廊下からよく見える構造となっており、趣味の部屋として使用したり、仕事をしたりと、住人が自由に使い方を規定することができる。
先に外観で穴が多数開いているというような書き方をしたが、その箇所はプライベートテラスあるいはコモンテラスとして使われているそうだ。そのフロアの住人が自由に使えるような空間と定義されている。実際に自分が足を運んだわけではないためどれくらいの人がどのような使い方をしているのかは皆目見当がつかないが、コンセプトは非常に納得ができる。
近年の課題について深く考えさせられる建築であると私は思うが、もう一つのポイントとして、子供たちの遊び場だ。都市化が進み、アスファルトで日本列島が覆われようとしている中、特に都心の子供たちはどのようにして遊んでいるのだろうと甚だ疑問であった。私自身は関東の田舎で育ち、小学生時代は自宅近くの公園で友達と遊んでいた。各々が自宅から自転車で集まり、そこからほかの公園に移ることさえあった。同世代の子供が多い地域であったため、大きな声ではしゃぎまわっても何も文句を言われないといった場所であった。幼少期に都会で暮らしたことがなかったためこのようなことは都会の子供はしていないのだろうという偏見を抱えていた。
しかし、現実はそうではなかった。二階(店舗や教室の屋上)では、小学校高学年くらいの子供たちが男女集まって、元気に楽しそうに遊んでいた。高層のマンションや団地が建ち並んでいる割には非常に日光が差し込む暖かい空間が広がっていた。デッキ部分には芝生も育成されていて、全く持って窮屈ではなかった。むしろ、この公団に住む子供たちが一気に集まりやすく、遊びやすい環境がそこにあったのだろうと感じ、理由は待ったわからないが安心した。
大学の講義でこの建築について取り上げた際、高い建物に囲われた中心だと、監視されているような印象を受けるため、子供たちはなかなか伸び伸びと遊ぶことができないと、批判する意見も出されていた。当時は確かにそういった環境もあり得るだろうと感じた。やはり都会で住まう子供の苦労はあるのだろうなと感じた。ところが、実際に自分が足を運んでみると、全く持ってそのような監視されている印象は持たなかった。自分が大人であり、子供とは身体の寸法が異なることももちろんあるだろうが、実際にそこに住んでいる子供たちが元気に遊んでいる姿が見受けられたから、そのようなことはないのだろうと。
先に述べたように私は幼少期時代に自転車でよく公園に出かけ、友達と遊んでいた。上の写真を見れば私が何を言いたいかを想像できると思うが、全く同じことが東雲キャナルコートで起こっていたのだ。地面はコンクリートではあるが、それぞれの子供たちが自転車で集まり、談笑している子もいれば、ゲームをしている子もいる。北関東の田舎の遊び方と全く同じではないかと。窮屈で遊びずらい都心の環境は工夫次第で帰ることができるのだと改めて感じた。
建築自体をユニークにして、パブリックとプライベートをうまく融合し、近隣住人とのかかわりを持つこと、そして、地域のまちづくりとして、先に述べたような環境を提供し、子供たちがのびやかに遊べるようにすること。この2点において、非常に考えさせられる建築で和えれ宇と感じた。新建築2003年9月号に掲載されている建築でもあるため、詳細は雑誌を参照するとよいだろう。