昭和時代の下宿で行われた新歓コンパ その2

注意:パワハラな内容の文章です。


先輩が取り出した杯は、どうみても学食の見慣れたラーメン鉢でした。

部屋の番号の若い順から呼ばれます。
盃を1年生に持たせ、なみなみと日本酒が注がれます。

周囲のイッキコールで宴が狂宴に変わります。
飲む時に横からこぼすのは仕方ないのですが、あまりにもこぼす量が
多いと、上から足されますので、ズルは許されません。

ある者は、飲み干して盃を下ろしたと同時に嘔吐。
吐瀉物で汚れた盃を日本酒で洗い流して続行です。
またある者はイッキ飲みの前から、恐怖なのか全身を震わせ、
イッキ後に気を失ったりしてたなぁ。

飲み干してトイレに駆け込み、その場で出せたものはダメージが少ない。
出るまで待つのは危険なのです。私は後者のパターンでした。

全員のイッキが終わって宴もお開き。1年生は部屋の施錠を禁止することを
前もって周知させられるわけですが、それは部屋で倒れて意識を失う者が
出るからなのです。
そういったお世話をするのが、2年生の役目。宴会の段取り、片付け、
意識を失った者を病院へ運ぶなど、夜が明けるまで各部屋を
巡回するのです。
2年生で車を持つものはいつでも運べるようにスタンバイ。
シートにはビニールシートが敷き詰められています。
こういう後始末が有るので、2年生は一滴も飲めないのです。

イッキ飲みをして結局吐かずに済んだのは、私ともうひとりだけ。
あの牛乳で胃壁をカバーしていたはずのAくんは、部屋で激しく嘔吐して
そのまま意識をなくして吐瀉物の上で倒れていました。

私の部屋では体調復帰したものが集まり、騒ぎすぎて怒られましたね。

朝7時、病院へ行った者以外の1年生は、先輩が状況を確認して
終りを迎えます。

こんな事が、どの下宿(学校指定)でも普通に行われていましたし、
クラブ活動に入った者は、そのクラブでも同じことさせられたりね。

次回は私が2年生当時の裏側を書きます。

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