大好きだったものが大嫌いになる話

※主題は「陽性転移と陰性転移」「賞賛とこき下ろし」の経験談です。

自分のことを「普通」だと思っていた

大学時代、一緒にうどん・そばのお店に食べに行った先輩とうどん派かそば派かなんていう他愛のない話をしていたとき、その先輩が「最近そばアレルギーだってわかったんだよね」と言った。

え、そんなことある?

というのが率直な感想だったが、「どうしてそれまで気付かなかったんですか?」と聞くと、「そばは食べるとかゆくなる食べ物だと思ってた」と何事もなかったかのように言うのだ。
当時は「そんなことあるかよ」と笑っていたが、そばを食べるとかゆくなることが異常だと気付く人が周りにいなければ、あるいは食物アレルギーというものを知らなければ、アレルギーであることに気付けないのはある意味当然のことである。

話は変わるが、つい最近恋人と別れた。別れたあと2日間くらいはボロボロ泣きながら友達に電話をかけて無限に「明日からどうしよう」「彼なしじゃ苦しい」などと繰り返し、ご飯もろくに喉を通らないほど引きずっていたのに、3日後には元彼のことを嘘つき呼ばわりしていた。
「嘘つき」「できもしないことを一生やるって言った」「自分のことを大きく見せたいだけのどうしようもないやつだ」
とんでもない変わりようである。だが、当時はそんなことは全く気付いていなかった。私にとっては普通のことだったからだ。

マンガを読んでいて「異常」だと気付いた

ところがそれはどうやら普通のことではなかったらしい。
そのことに気付いたのはShrink~精神科医ヨワイ~というマンガの5巻を読んでいたときのことだった。5巻では境界性パーソナリティー障害に悩む女の子が、主人公の精神科医・弱井の治療を受けていくなかで社会復帰する。
中でも私が特に衝撃を受けたのは、「陽性転移と陰性転移」=「賞賛とこき下ろし」の話だ。
女の子は最初、弱井に「大好き」「次の診察が楽しみ」というメールをたくさん送るのだが、弱井が自傷行為に対して淡泊な反応をすると「やぶ医者」「ダメ医者」と急にこき下ろし始めるのだ。

私は彼女と同じことをしていた。

陰性”転移”というだけあって、これはちょっとしたきっかけで今まで味方だと思っていた人が敵に見えてしまう気分の移り変わりなのだ。

心当たりしかない。
「ずっと一緒にいるから」「どんなあなたでも大好き」と言っていた元カレが「今のお前とは一緒にいられない」「見ていて苦しい」と言っただけで大嫌いになって友人にめちゃくちゃに元彼の悪口を言った。
「あなたの好きにやってほしい」と言っていた人が「まあまあ落ち着いて、折り合いつけていこうね」と言っただけで大嫌いになってSNSに「もうあいつのこと信じない」などと書きこんだり……。
今思えば本当に申し訳ないことをした。たった1回裏切られただけで「あいつは裏切者だ」と周りに吹聴してまわるヤバヤバ野蛮人だった。

「知人」の分類

それに気付いた私が最初にしたのは、「知人」の分類を見直すことだ。
境界性パーソナリティー障害の人は基本的に周りの人間を「家来か敵か」で分類するらしい。
とりあえず私がした分類がこうだ。

周りの人間を分類してみた

私はよく「友達がいない」と言うが、正確には「知人であれば味方か敵か顔見知りしかいない」のである。一般に言う「親友」とか「友人」とか「知り合い」とか「苦手な人」みたいな細かい分類がなく、「名前を知っている程度の顔見知り」「知人の中でも私のことを否定しない味方」「知人の中でも私のことを否定する」の3分類しかない。
顔見知りのことは「あまり知らない」しか言わないし、味方のことはたくさん褒めるし、敵のことは嫌いなところをたくさん言う。めちゃくちゃ不健全な人間関係の築き方をしていた。しかも味方だった人も1つ嫌なことがあっただけですぐに敵に移り変わる(こき下ろし)。
冒頭のそばアレルギーの話と同じで、私の周りにはこれが異常なことだと気付く人がいなかったのである(もしかしたら気付いていた人を敵と見なして積極的に関係を切っていたのかもしれないが)。

「変わりたい」は「ダイエットしたい」と同じ

「変わらないと、きっとこの先誰のことも大事にできない」とぼんやりと思った。
しかし道のりはなかなかに険しい。要因はいくつかあるが、なにより自分と向き合うのがしんどい。治療の第一段階で人に裏切られたと感じたときに「何があったか」「どう思ったか」「どういう行動をとったか」「どうなったか」をノートに書いていくのだが、毎回これをやるのがまず面倒くさい。
そして後から見返して自分の思考の癖を調べていくのだが、後から見返すと本当にしょうもないことでスマホの画面割るくらいムカついている瞬間があって、なんでこんなことで怒ってたんだろうと笑えてくると同時に、ずっと同じ思考パターンになっている自分に心底失望する

変わりたいと思っているのに、いざその場面に直面すると行動に移せない。
ふと、ダイエットと一緒だと思った。やせたいと思っていてもおなかがすくと食べてしまうし、普段の食事習慣はやすやすと変えられない
ダイエットはどうやって乗り切っていただろうかと思い返すと、食べたいと思ったときに食べてもいいものを用意したり、食べる代わりに次の日のウォーキングを伸ばしたりしていたように思う。
それと同様に、裏切られた気持ちになったときのテンプレ行動を用意した。
「ムカついたらDESC法を実践する」たったこれだけ。

DESC法についての詳細な説明は今回は省くが、簡単に言えば、意見の相違があったときに「どういう経緯でその思考に至ったか」を説明することで妥協案を引き出すというものだ。

実践してみた

効果が現れたのはすぐのことだった。元彼から1カ月ぶりくらいにLINEが来たがあまりに勝手なことを言っているので、いつものように「もういい」と言いかけた。これをDESC法に変えるだけだと思い、論理的に非難して突き放すだけのLINEを送ってしまった後、急いで修正した。
「別れた後はこういう状況だった」
「このことが納得いかなくて悲しくなった」
「納得いかなかったことを修正してほしいと願っている」
「修正したいと思うなら手伝うが、無理にそうしてほしいわけではないのであなた自身でよく考えてほしい」
2時間後、返信が来た。要約すると
「考えていることはよくわかった。俺も子どもだった、ごめん。一度自分のこともよく考えてみる」
という内容だった。私は初めて人のことが嫌いになった後にまともな会話をした。1歩だけ大人に近づいたみたいだった。

「子どものままの大人」から「大人」へ

たまたま成功体験が積めたが、これはたまたま相手が落ち着いて考えることができる人だっただけでいつもこうなるとは限らない。中にはいくら冷静に説明したって「でも自分が正しい」「お前の言うことは聞いていない」という人もいる。
いつだってそういう人は敵に分類して距離を置いてきたが、社会で生きていくにはいつまでもそうしているわけにはいかない。納得いかなくたって同じ部署で働かなきゃいけないこともあれば、相手も同じ境遇で私を敵に分類している可能性がある。

私はまだまだ人付き合い経験が浅いので人間関係はひよっこだ。どうにもできない場面に出会うと逃げたいと思うし、過去を掘り返しては「だから私はだめなんだ」というぐるぐる思考になることもある。
これを機に少しでも過去の自分を許して、今を乗り切れるような大人になっていきたい。


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