人には人の「うつ」がある話

当事者が現場で感じた「物足りなさ」

突然だが、私は障がい者だ。精神保健福祉手帳3級を持っている。とはいえ発覚したのは3年ほど前のことで、いろいろあって大学卒業後すぐに派遣やフリーランスで働いていたときに正社員として就職するのが難しそうだったから手帳を取得しただけで、普通に生活していてなにか配慮してほしいとかいうわけではない。
そんな私の前職は就労継続支援B型事業所(以下B型・就Bと呼ぶ)のスタッフだった。就労継続支援B型事業所とは、雇用契約に基づく就労が困難な人に、軽作業などの就労訓練を行う施設のことで、私はそこで障がいをもつ利用者向けのマニュアルを作ったり、相談を希望する利用者の面談を担当したりしていた。
B型では袋詰めや清掃などの簡単な作業をするのが主流だったが、最近ではクラフトや動画編集などの少し複雑な作業内容を展開する事業所も増えていて、前の職場も例にもれず動画編集などを請け負う事業所だった。
私が就職したころにはその事業を始めて2ヶ月経っていたのだが、恐ろしいほど何も整備されておらず、毎回スタッフがマンツーマンで利用者に作業内容を逐一指示するようなクッソ効率の悪い現場だった。この人たちは話しかけることにためらいがあるのも、指示通りに作業する難しさも理解していない。こんな作業をずっと続けていけば利用者が離れていってしまうというのに、誰一人そのことに危機感を抱いていない。
就職するときに面接で「あなたの強みはなんですか?」と聞かれたとき、「(障がい者なので)ここにいる他のどのスタッフより当事者目線で意見が言えることだと思います」と答えたら「それを武器だと言い張れるのすごいね」と笑われたのをよく覚えているが、とにかくそんな私から見てその作業所は最悪だった。

少し寄り道をするが、「ちょっとしたことでうまくいく 発達障害の人が上手に働くための本」という本がある。この本では発達障害の人が働くうえで想定される困難をいくつか挙げ、それに対する対処法を紹介している。”「わかっているのになぜかできない」ができるようになる”と謳っているだけあって、いろんな特性をもつ人に対応している。
例えば私は明朝体の文章を読み続けるのが得意ではないのだが、マニュアルや指示書が読みづらいフォントだった場合、アプリで文章を読み込んでフォントを変換する方法が紹介されている。

話を戻すと、「障がい者が働きやすい」と宣伝しているくせにスタッフのそういう知識はゼロ、すべて口頭での指示などとにかく行き届いていない職場だった。
しかしどうやらそれはこの業界においては常態化しているようだ。人手が足りなくなれば基本的にはパートで補い、障がいについての研修はほとんどやらないまま「相手も人間だから大丈夫」などというわけのわからない理論でいきなり現場に回されることがほとんどだそうだ。
そんな職場が大嫌いで仕方がなくて、私のできることから少しずつ変えたいといろいろやってきたが、最終的には指示が二転三転する上司についていけずにやめてしまった。

私も決して支援に向いているわけではなかったと思う。当事者目線すぎると自分と相手のことをわけて考えるのが難しかったり、そもそも全く縁がない障がいだったりすると理解が難しかったりするし、スタッフ同士で見えるものと当事者が体験したものの差異を埋めるのも難しい。

推しが教えてくれた「いろんな落ち込み方」

それが難しくて当たり前だということに気付いたのは本当に最近のことだ。私自身もともとコミュニケーションが得意ではないのだが、会話は傾向と対策でなんとかなると思っていた。主に言外の意図をくみ取るのが難しく(これも最近知ったがASDの特性にあるらしい)、道端でばったり知人に再会したときに「久しぶり!え、お昼まだったらご飯いかない?」と聞かれたときに「お腹すいてないから大丈夫」などと答えてしまったことがある。久しぶりにばったり会った人に「ご飯に行こう」と誘われる=積もる話もあるからお店でしようという意図だということさえわかっていれば次は誤解することはない。これを積み重ねていけばいつか会話もできるようになるだろうと思っていたのだが、推しに価値観は千差万別だということを教えてもらってからはそれもあきらめつつある。

にじさんじに所属していたVTuberの黛灰を知っているだろうか。
彼の配信はどこか心地よさがあったのだが、それを特に感じたシーンのクリップを載せておく。

「太らないってうらやましい」というコメントに対して、「体質的に太れないからそうやって言われるのは嫌だ」と言った後、「君たちからしたら太れていいねって言われてるってことだよ」とわかりやすく説明してくれた。
彼の配信は見ていて傷つくような言葉がなかったから大好きだった。

そんな黛灰が卒業直前に精神科医と対談する配信をしていた。

「心が弱った時のあるある」として、お風呂に入れない・片付けができない、希死念慮、着替えて外に出るのがめんどくさい、感覚鈍麻、休めないなどの話をしていたのだが、彼らの語り口はとてもやさしかった。この配信がされていた当時はがっつり病んでいたので見なかったのだが、最近になってゆっくり腰を据えて見た。

私がうつだったときはとにかくずっと眠くて、人と会う予定を全部キャンセルしたからシャワーを浴びることも着替えることもせず、ゲームをする気力が出てきても30分くらいでまた布団に戻る生活がずっと続いていた。
友達がいないので誰かとそんなことを語らうこともなく、何もできない自分をただ毎日責め続けてはネットで見たうつ経験談もそうだったから大丈夫だと信じ込むだけだった私にとって、この配信は「誰でもそうなるよ」という優しさであふれていたし、「自分はこうしていたよ」という助け船をたくさん提示してくれているように感じた。
片づけられなければ業者を呼べばいい。友達がいるなら「ファッションショーごっこ」をして遊び感覚で気軽に断捨離すればいい。目からうろこのアイデアだ。

落ち込んでいるときは人に会うとささいなことで傷つくが、落ち込んだ人を癒してくれるのもまた人なのだと思う。特に依存症などはそれが顕著で、治療の段階で自助会に顔を出すことを推奨されることがある。自助会というのはその病気になった当事者たちが互いに体験談などを語り合ってほかの人はそれを聞く場で、特に依存症などは抜け出そうと頑張る人や寛解(病気による異常が見られなくなった状態)した”先輩”がたくさんいる。

依存症治療の段階で自助会に顔を出すことを進められるのは”先輩”が依存患者にとってある種の希望となるからだが、うつでも同じだと思った。寛解した人の言葉は当事者にとっては驚くようなことばかりだった。
またひとつ、体験的理解を得られたような気がする。ありがとう黛灰。

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