ひと駅分の距離

 重たい瞼を開けたその瞬間、プシューと音を立てて扉が閉まり、変わり映えしないようで案外違いがよく判る、見慣れた景色が押し流されていく。そして五秒ほど経って、私は自宅の最寄駅で降りるのを忘れたことに気が付いた。一気に目が覚めたのは、言うまでもない。
 どうしようと軽く混乱しても結局は出来ることは限られている。新型の座席が柔らかいのが悪いとか、ここ暫く抱えていた案件を完遂し早く上がれたから座れたのが良くなかったとか、喜んでいたことに内心文句を言いつつ数分を過ごし、次で下車した。ここで最近ようやく社会人が板についてきたと褒められた私は決して衝動に任せて馬鹿な真似はしない。スマホのバッテリー残量を確認し、電波が良くても念の為ダウンロード。所要時間から自分の歩くスピードを考慮し、余裕のある予定を立て、外に足を踏み出した。

「……よし」

 誰にも聞こえない声で呟き、スマホを片手に、画面中央にある現在地から右側に伸びる道に線が引かれているのを確かめて歩き出す。その線は私の希望の光——自宅へ辿り着く為の経路である。ちゃんと徒歩と設定してあるので、通れない道があって途方に暮れるなんてことはない、はず。スマホを持っていなかった頃は絶対に選ばなかっただろう選択肢も、この文明の利器により選択可能だ。でなければ極度の方向音痴であることを認め、向こうに戻る電車を待たなければならないところだった。中途半端な田舎なので、徒歩での見積もりとそう変わらないけど会社勤めになり、運動不足を懸念し始めたことがこの移動方法を選ぶ決め手になった。
 最寄の一つ前の駅だったら車窓からぼんやりと眺める感じ、少しは景色が違っていそうだけど、ここは特に違いを感じない。が、新鮮味はないのに違和感はあるのは大人向けの間違い探しをしているときとよく似ていた。左右に住宅が立ち並ぶエリアを進めば、多分室内から姿の見えない犬に吠えられ、子供の頃に近所の家の犬に必ず吠えられていたことを思い出したり、見知らぬ顔に少し警戒しつつも挨拶してくれるおばさんたちに会釈し返したりと、不思議な感覚が強くなる。まるで夢でも見ている気分だ。そして見覚えのある景色が見えてきてやっと、私は足の痛みを自覚した。安堵と、これは明日筋肉痛かな。明後日ではありませんように。そう願いながら、他の人にとっての日常を横切る面白さに、次はわざとやってみようかとも考えるのだった。

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