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共通言語について~錆びたくない私バージョン~


ビール。
ワイン。
お芝居。
洋楽。

周りの人の影響で好きになったもの。
(最初の一歩を与えてもらったもの)

いまや自分になくてはならないものたちですが、
ずっと手を出しづらくて横目に見ていました。
接触するきっかけをもらっていなければ、
今も自分の生活に存在しなかったかもしれないものたちです。

前に「自分を自分たらしめているのは周囲のものだ」という話をしましたが、
それは人だけでなく、こういった物事もそう。
自分という人間を構築する成分には、あらゆる物事の好き嫌いも含まれていると思うわけで。
また、それを自認し、自分から発信することで、関わる人も変わってくるという。あとは行動範囲にも影響するし。
類は友を呼ぶと言うけれど、仮に隠しているつもりでも何かしらちょろっと漏れちゃってるんでしょうね……(笑)

「誰かからもらったきっかけ」というのは結構大事で、
自分がどれくらいその相手を信用しているかによって、
その物事に対するハードルもぐいっと下がると思っています。

たとえば自分の場合はビールがそうでした。
もともとアルコールは大好きですが、20代初めの頃にチャレンジして「むりー!」ってなってからずっと避けていました。
で、20代半ばで気になる異性がビール党だということを知り、クラフトビールのお店に行く約束を取り付けたのはいいけれど「飲めないしな~楽しめるかな~」なんて思っていたのですが、約束の数日前に友人と飲みに行った先でビールチャレンジしてみたら「あれ、いけるじゃん……!?」って衝撃を受けたということがありました(笑)
このときの私はきっと「これまで避けてきたけど飲めるようになりたい」っていう潜在意識が芽生えていたのではないだろうか。恋愛は人を変えるね(笑)
よく外国語を学ぶならその言語を話す恋人をつくるのが近道だって言いますが、「共通のものがほしい、コミュニケーションを深めたい」っていう意識が生まれることで、好結果をもたらすということなんでしょうね。「共通言語」にあたるものを大切にしたいという意思の表れ。私のビールの話もそういうこと、皆さんが恋人の趣味に影響されるのもそういうこと。相手が自分にとってどういう人なのか、ってところが肝要なんだろうな。

で、具体的な事象でなくても、雰囲気というのも共通言語に成り得ると思っています。
この人の雰囲気が素敵だな、とか、人じゃなくても、この場所の空気が好きだな、とか。
たぶん人間ってわりと直感で仲良くなれる・なれない・なりたい・なりたくないを判断してると思うんですけど、
相手と初めて知り合う場所が自分にとって安心感のある場所だと、それだけでひとつの共通言語が生まれているってことになるんじゃないかな~と。
あ、ここに来る人ってことは、たぶん絶対ムリって感じの人じゃないな、っていう。
だから馴染みのない場所で知り合う時よりも、相手に対しての警戒心が和らぎやすいんですよね~。
性善説を信頼しているというよりは、共通言語による仲間意識のほうが正しい気がする。
まあそれでも合わない人は合わないんですけどね。最初のハードルが低いってだけで、そこは自分の勘を信じていただいて(笑)

自ら新しいことにチャレンジしていくのってエネルギーが必要だし、年齢とともに億劫になっていくって言いますけど、
私はいま関わっている人たちが勧めてくれることならガンガン取り入れていきたいなーと思っています。彼らとの間には、何かしらの「共通言語」が存在しているからです。
きっかけを与えてもらえることに感謝して、錆びない人生を送りたいものですね!


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