水無月の秘密
その光景を、忘れることができずにいる。
淡い青色に染まった紫陽花の向こうで揺れる、白いワンピース。
薄曇りの空を割って幾筋も降り注ぐ、あたたかな光。
緩く手を繋いだふたりを包む、穏やかな空気。
振り向いたその人の、はにかんだ笑顔を。
忘れることができずにいる。
「今年も、咲いたね」
縁側で庭を眺める父にそう言って、湯呑みとお茶菓子を載せたお盆を隣へ置いた。
そうだな、と呟いた父の視線は、ずっと生垣へ向けられている。
雨が降る前の匂いに、いつの間にか敏感になったなあと思う。
朝のニュース番組のお天気コーナーで、梅雨入り間近だと言っていた。時期を迎えた紫陽花が色付き始めている。
自分も座って眺めようか、と腰を下ろしかけたところで、ズボンのポケットに入れていた携帯電話が震えた。
取り出してみると、メッセージの受信を伝える通知画面が表示されている。
「母さんから」
こちらを見上げた父と、目が合う。
「今年も集まることになったからね、だって」
「……そうか」
湯呑みに手を伸ばし、お茶を啜りながら、また父は紫陽花を見つめた。
その横顔が寂しそうだと感じるのは、きっとあの遠い記憶のせいなのだろう。
叔母は、白いワンピースがよく似合う、美しい人だった。
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