習近平派に政治的逆風─不正で有力若手失脚、防災不手際の問責も

 中国共産党政権で勢力を拡大してきた習近平国家主席派に政治的逆風が吹き始めた。習氏の権力基盤である浙江省の若手有力指導者が不正疑惑で失脚したほか、習派が掌握する河南省が豪雨対策の不手際で多数の死者を出したことから、李克強首相率いる国務院(内閣)の調査対象となった。一方、重要会議などの公式活動で非主流派が存在感を増している。

■公式メディアが異例の疑惑詳報

 党内主流派の習派は、習氏がかつて首脳ポストを務めた福建、浙江の両省と上海市の党・政府機関出身者が多く、中でも「之江新軍」と呼ばれる浙江人脈が派閥の中核を成している。その浙江省の省都・杭州市の党委員会書記(市指導部のトップ)を務める周江勇氏について、党員の不正を取り締まる党中央規律検査委員会が8月21日、「重大な規律・法律違反の疑いで調べている」と発表し、内外の中国政治ウオッチャーを驚かせた。周氏は汚職の疑いで拘束されたとみられる。
 周氏は1967年9月生まれで浙江省寧波市出身。2012年に習氏が党総書記に就任してから、同省の舟山市長・市党委書記、温州市党委書記、杭州市党委書記とハイペースで昇進した。17年には省党委の指導部である常務委入り。49歳で省レベル地方党委の常務委員(次官級)になるのは、同世代の中でトップクラスの出世である。
 近年の頻繁な異動からみて、周氏は閣僚級ポストを経て、いずれ党中央指導部である政治局に入る可能性があった。高官の人事権を握る習派の後押しがなければ、このような昇進は無理だろう。
 「習氏が反腐敗を徹底するため、泣いて馬謖(ばしょく)を斬った」という説もある。しかし、中国の「反腐敗闘争」は政争の手段であり、誰がいつ打倒されるかは腐敗の事実ではなく、党内各派の力関係によるのが実態だ。
 周氏の失脚に関しては、党機関紙・人民日報系の経済誌・中国経済週刊(電子版)が8月26日、独自取材に基づいて、周氏の権力を利用したとみられる親族の不明朗なビジネスを詳報。高官が不正疑惑で失脚した直後に公式メディアがこのような記事を載せるのは異例で、「泣いて馬謖を斬る」というより「水に落ちた犬は打つ」との印象を与える。
 同誌によると、周氏の親族のビジネスパートナーには電子商取引最大手のアリババ集団が含まれていたという。
 習派はこれまで、反腐敗闘争で非主流派である江沢民元国家主席派や胡錦濤前国家主席派(共産主義青年団派=団派)などの有力者を粛清してきたが、今回は逆に非主流派から弱点を突かれたように見える。

■「之江新軍」高官を調査

 河南省では7月20日の豪雨で300人以上が死亡したが、その大半は省都の鄭州市だった。市当局が安全対策を怠ったため、冠水したトンネルや地下鉄駅の構内で多くの人が水死したのだ。
 国務院は8月2日、この件について調査チームを設け、関係当局者の職務怠慢などの責任を追及すると発表した。同18日から19日にかけて、李首相が豪雨被災地を視察。20日には黄明応急管理相をトップとする調査チームの「進駐・動員会議」が鄭州で開かれ、現地調査が本格的に始まった。
 河南省党委の楼陽生書記と鄭州市党委の徐立毅書記はいずれも浙江省の党・政府機関出身。李氏の部下が之江新軍の高官2人を調べる形となった。湖北省の省都・武漢市から新型コロナウイルスが広がった問題では昨年2月、湖北省と武漢市の党委書記が更迭された。楼氏と徐氏が処分の対象となるかどうかは不明だが、部下が処分されるだけも政治的には打撃を受ける。
 楼氏は61歳で、河南省党委書記は三つ目の閣僚級ポスト。来年の党大会で政治局入りしてもおかしくない経歴だ。57歳で大都市トップの徐氏も、数年後には閣僚級に昇格するコースに乗っている。習派としては、厳しい処分は避けたいところだろう。
 大雨はまたいつ降るか分からないので、防災関係の対応は急がねばならないはずなのに、調査チームの設置発表は豪雨から約半月後、李氏の現地視察と調査チームの本格始動は約1カ月後と不自然に遅れた。調査に対して何らかの妨害があったが、李氏がそれを押し切ったという経緯があったことが想像できる。

■次は「汪洋総書記」?

 党最高幹部(政治局常務委員)の一人で国政諮問機関の人民政治協商会議(政協)主席を務める汪洋氏の動きも注目を集めている。汪氏は李氏と同様、団派に属する。
 経済政策の基本方針を話し合う党中央財経委の会議が8月17日、習氏(財経委主任)の主宰で開かれ、委員ではない汪氏も「出席」した。経済通の汪氏はこれまでも同会議に出たことがあるが、公式発表では委員のような「出席」ではなく、「参加」とされていた。
 オブザーバーのような形だったとみられ、発表文で汪氏の名前は李氏(財経委副主任)、党中央書記局の王滬寧筆頭書記、韓正筆頭副首相(いずれも同委員)の後に紹介された。だが、今回は出席者として扱われ、順番が李氏の次になった。発言権などが委員並みに格上げされたということだろう。
 さらに、汪氏は8月19日、中央代表団の団長として「チベット平和解放」70周年(5月23日)の現地祝賀大会に出席した。統一戦線の役割を担う政協の主席がこの種の行事に出るのは当たり前のように思えるが、実は50周年は胡氏、60周年は習氏と、これまでの団長は国家副主席と中央書記局筆頭書記を兼ねる次期最高指導者だった。
 江沢民時代以来の慣例に従えば、団長は国家副主席か中央書記局筆頭書記。しかし、現国家副主席の王岐山氏も筆頭書記の王滬寧氏も団長に選ばれなかった。習氏は7月下旬にチベットを視察したが、この時には祝賀大会は開かれなかった。
 かつて胡氏と習氏が中央代表団を率いてチベットを訪れたのは肩書と関係なく、次期最高指導者としての訪問だったとすれば、来年の党大会で習氏は総書記を退任し、汪氏が後任になるということか。海外(中国本土以外)の中国語メディアでそういう説が出ているが、中国の政治情勢に詳しい香港親中派の消息筋は明確に否定。ただ、汪氏は次期首相(23年就任)に起用される可能性が出てきたと指摘した。

■極左論文に意外な批判

 対外政策でも微妙な変化が生じている。「戦狼外交」と呼ばれる習氏の対外強硬路線を象徴する反外国制裁法(6月施行)は、8月17~20日の全国人民代表大会(全人代=国会)常務委員会で香港にも適用する決定が採択される見通しだったが、見送りとなった。香港の国際金融・貿易センターとしての機能への影響を懸念する慎重論が優勢になったようだ。
 戦狼外交を称賛してきた著名な左派(保守派)イデオローグ、胡錫進氏(党機関紙・人民日報系の環球時報編集長)が9月2日、文化大革命(文革)の再発動を呼び掛けるかのような極左論文を厳しく批判したのも意外だった。
 人民日報など主要公式メディアのニュースサイトは8月29日、習氏の左傾化路線に基づく民営企業や芸能界に対する統制強化を「深刻な変革もしくは革命」として絶賛する左派の作家、李光満氏の論文を一斉に転載。文革ののろしとなった論文「新編歴史劇『海瑞罷官』を評す」の再来かとも思われたが、同じ左派の胡氏はインターネットを通じて発表した文章でこれを「国の市場監督管理措置に対する誤読と曲解だ」と全面的に否定し、一連の政策は革命ではないと反論した。
 左傾の行き過ぎに対する警告という意味では、胡氏の見解は李首相や汪主席ら市場重視派に近い。党内事情に通じた大物ジャーナリストだけあって、機を見るに敏ということか。
 8月中旬以降のさまざま動きは、「北戴河会議」といわれる指導部夏休み中の非公式な意見交換(実際には場所が北戴河とは限らない)で習氏の派閥や路線に対する批判・異論が多かったことを示唆している。
 もっとも、第20回党大会は来年秋に開かれると思われるので、まだ約1年も先のことだ。習氏の総書記続投を含む人事や政策をめぐる駆け引きは大会の直前まで続くことになる。(2021年9月6日)

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