香港の中国式政治体制が完成─民意代表機関、100%親中派に

 香港の国家安全維持法(国安法)体制下で初の立法会(議会)選が民主派を排除して行われ、定数の90議席は親中派が独占した。各界代表が行政長官などを選ぶ選挙委員会も同様の構成になっており、民意代表機関が100%共産党支持者という中国式政治体制が完成した。「愛国者による香港統治は親中派の清一色(チンイーソー)にはならない」という中国政府の約束は守られず、一国二制度の核心である「高度な自治」は消滅した。

■民主派の「裏切り者」当選

 立法会選は12月19日に実施された。民主派を徹底的に取り締まる国安法制定(2020年6月)後の選挙制度改変で、定数は70から90に拡大。旧制度は民主派に有利な直接選挙枠、親中派が優勢な業界別の間接選挙枠(職能枠)をそれぞれ35議席としていたが、新制度は直接枠を20議席、職能枠を30議席に縮小し、新設の選挙委枠が40議席と最も多くなった。新制度下で9月に選ばれた選挙委員に民主派はいない。
 しかも、新制度下で立法会などの選挙に出るには、「愛国者」かどうかを調べる候補者資格審査委の審査を通らねばならない。中国共産党・政府の言う愛国者は親中派のことなので、民主派は「非愛国者」と見なされ、立候補すらできない。そもそも、民主派有力者の多くは既に逮捕・投獄されるか、亡命を強いられている。
 立法会選に出馬した153人のうち十数人は「非親中派」とされ、民主派政党の元幹部も含まれていた。しかし、香港メディアの関係者は「民主派の間で彼らは『裏切り者』と呼ばれている」と語った。香港政府に「愛国者」と認定してもらって選挙に出ることは、国安法体制への支持に等しいからだ。
 「非親中派」候補は、かつて穏健民主派政党の民主党副主席だった狄志遠氏だけが当選した。香港メディアによると、狄氏は当選後、「1対89だ」と述べ、自分が新立法会で唯一の非親中派議員になることを強調した。
 狄氏は2012年以降、民主派が反対した「国民教育」導入や民主派排除の長官選挙制度改革を支持。15年に民主党を離党した。その後、立法会補選で親中派政党の指導者と共に同派の候補を公然と応援しており、実質的には完全な親中派と言ってよい。親中派の主要政党・団体に所属していないので、「非親中派」と称しているだけである。

■体制の利害調整機能に不安

 主要親中派政党では、民主建港協進連盟(民建連)が議席数を前回の12から19に伸ばして、第1党の座を維持した。民建連と密接な関係にある左派系労働組合の工会連合会(工連会)も前回より3議席多い8議席を獲得して、第2党に浮上した。
 一方、自由党でリーダー格の議員が再選に失敗するなど、財界系の親中派政党は全体として振るわなかった。選挙制度の改変で、職能枠の支持層だった有権者が減ったためとみられる。
 立法会議席の約4割を占めていた民主派がいなくなったにもかかわらず、主要親中派政党・団体全体の議席の比率はあまり高まらず、全体の5割弱にとどまった。中小政党はいずれも1、2議席。民主派の穴を埋めたのは、主にビジネスマン、弁護士などの親中派無所属だった。
当選議員全体の約6割を新人が占めた。また、全体の3分の1以上は中国の議会に当たる人民代表大会もしくは政治諮問機関の人民政治協商会議(政協)メンバーである。
 1997年の香港返還以来、中国共産党政権は長年、香港親中派がなかなか一致団結しないことに悩まされていた。国家安全条例反対運動(2003年)、雨傘運動(道路占拠運動、14年)、逃亡犯条例改正反対運動(19年)といった大規模なデモが行われるたびに、親中派の財界系政治家や財界人が民主派に同調したり、同情的な態度を示したりして、香港政府の足を引っ張った。
 16年には、当時の梁振英長官が親中派の選挙委員から十分な支持を得られず、再選出馬断念に追い込まれた。しかも、その後、親中派で占められていたはずの政府上層部から、主要閣僚の財政官が習近平政権の意向に反して、長官選に立候補。水面下で大物財界人から支持を得ていたといわれたが、習政権が推した林鄭月娥氏(現長官)に敗れた。
 こうした経緯から、習政権は19年の民主派デモの一部が過激化したことを口実にして、国安法制定を強行。それにより、民主派を弾圧するとともに、親中派全体をより中国寄りにするために政治体制を再編したとみられる。
 だが、社会主義市場経済がまだ発展途上の中国本土と異なり、香港は資本主義が高度に発達した国際金融センターだ。議会の直接選挙で有権者の7割が投票に行かない体制で、複雑に入り組んだ経済的、社会的利害をうまく調整できるのかという不安があることは否定できない。(2021年12月24日)

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