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路地を進んだところにお地蔵様。

『ランダムに選んだ過去の写真からインスピレーションを受けた小咄、コラム、戯言などを書き留める写真で二言三言。』

隅田川の河口の中洲を中心とした佃の入植はWikipediaによるとなんと1602年!?
関ヶ原の戦いの翌々年から開始されたらしい。
さらには1644年に本格的に佃村は漁村として整備されたとのこと。
なので、あの佃周辺自体の歴史はかなり古いということに驚かされたのだが、わたしの世代ではこのあたりに注目が集まったのは90年代に始まったタワーマンションの乱立によるモノだろう。
合わせて月島では月島もんじゃをB級グルメとして展開し、バブル期辺りからウォーターフロント開発の先鞭として注目を浴びるようになったあの頃の記憶が色濃く残っている。

その後どういうワケだか、豊洲に本拠を構える会社に入社したことから有楽町線で通勤することにナリ。いつでも月島へは行けるよなぁ〜と思いつつ幾星霜。
この手のパターンは近場であればあるほど、なかなか行く機会が訪れないというヤツである。

とはいえ、お写ン歩としてはこの昭和の路地と平成の再開発がモザイクのように折り重なっている街の光景は他にはないモノなので、ようやく重い腰を起こして訪れるようになった。
この写真は佃天台地蔵尊を写した一枚である。
佃の町を細かい碁盤の目のように走る路地から裏路地をクネクネと徘徊していると、細い路地の行く先に突然現れたお社。
といっても路地の中の民家の一部のような造りではあるが、そんなお社の中を大きな木の幹が貫いていたり、薄暗い路地の中でここだけ煌々と灯りに照らされていたりと、知らない余所者のわたしとしては、突然目の前に現れるこの光景が何かに騙されているのではないか?と疑うような出来事だったのだ。


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