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ボケとピントぶれ。

『ランダムに選んだ過去の写真からインスピレーションを受けた小咄、コラム、戯言などを書き留める写真で二言三言。』

インスタグラムのタイムラインを見ているとボケ表現が多いことにいまさらながらに気付く。
この写真における『ボケ』というのは日本ならでは表現なのだそうだ。
90年代後半に初めてアメリカで『Bokeh』という表現が紹介されたらしい。
なので、英語に『ボケ』という言葉はなく『Bokeh』という日本語が英語化して使用されている。

写真に興味を持つようになり様々な書籍や写真集に目を通してきたが、昔からボケが尊重されていたかというとそうでも無いような気がする。
どちらかというとレンズはちゃんと隅々まで解像してなんぼ、写真も主題副題という目に止まる表現はもちろんのこと、情報量は多いほど望ましく、その為には絞りを絞って撮影することが望ましいようなことが多かったように思える。

ここ最近、ここまでボケ写真が幅を効かすようになったのはなぜだろうか?
ボケを活かすことこそがインスタグラムやTwitterでバズる基本のようになっている。
iPhoneを初めスマホのカメラにさえもボケを活かすポートレートモードが標準装備されるようになっている。

たしかにポートレートなどで主題を明確にするためには余計な背景がボケていた方が解りやすく伝わることもあろう。
しかし、いまやポートレートに限らず風景写真やスナップにおいてもボケを最大限活用した写真が散見される。

これは実は遊びなのではないか?
写真というモノは目で見えてるモノを切り取るモノという固定概念が、ミラーレスカメラでは大口径レンズと被写界深度の調整で目で見ているモノとは別の世界が見られるようになったことで、この現実感との相違・乖離を愉しむという新たな写真の愉しみ方が生まれたのではないだろうか?

斯く言うわたしは、ボケを愉しむというよりオールドレンズでレンジファインダーの2重像を見誤り、ちょっとピンボケになったような写真を振り返って愉しむくらいがちょうど良い。


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