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東京大空襲の記念碑を巡って。

『ランダムに選んだ過去の写真からインスピレーションを受けた小咄、コラム、戯言などを書き留める写真で二言三言。』

2014年の夏に長年放置プレイをしていたブログを仕切り直して再開して以来、今日に至るまで写真を撮って、それを元に記事を仕上げてエントリーを完成させるという営みが日常のようになっているが、初めてこのような写真を使ったエントリーの作成を試みた一枚がこちらの写真である。
実際には2006年の6月に当時のmixiの日記にまとめ上げたはずだ。

場所は東陽町駅前の江東区東陽公園。
2006年の春の話になるので、かれこれ17年前のことになるが、ある日今は無き母方の祖母から密命を言い渡されたのである。
「深川に親戚が住んでいたのだが、昭和20年3月10日の東京大空襲で亡くなってしまい、その後何の供養もしてやれなかったのが悔やまれてならない。なので、亡くなった場所を見つけてきてほしい。」
その他のキーワードは「とうよう小学校」のみである。

しかし、わたし的にはある程度勝手知ったるエリアで無いワケでも無い。
「深川」に「とうよう」となると「東陽」であることに違いない。
Googleマップで調べてみるとあっという間に「東陽小学校」が見つかった。

深川の親戚というのは祖母の父親、わたしにとっては曾祖父の妹の嫁ぎ先ということらしい。祖母の実家は没落士族であったため、祖母も若い頃にこの深川の親戚を頼って上京してきたようだ。

東陽町まで出かけて見ると、駅前に東陽公園がある。戦前はこの広場と奥の東陽小学校が繋がっていたようで、昭和20年3月10日B29による爆撃が始まると深川の親戚の家は家長のおじさんを残して東陽小学校に避難したらしいが、そこで全員なくなったそうである。

この東陽小学校付近の当時の空襲による死者はかなりの規模だったらしく、東陽小学校のさらに北隣の深川高等学校の敷地内には東京大空襲戦災殉難者慰霊の碑が建てられている。
わたしは、祖母の代わりの供養というわけでもないが、その慰霊碑に向かって参拝をして深川の地を後にした。

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