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写真で二言三言【金沢編】

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思っていた以上に【金沢編】の記事が多くなってしまったので本編の『写真で一言二言』と切り離して別冊といたしました。
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2024年5月の記事一覧

秋刀魚の旨さを再認識した金沢のやよい軒。

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 2016年7月に東京に戻ってきて早丸8年ほど経とうとしているが、いまだに金沢への思いが衰えることがない。 いつまでも後ろ髪を引かれている一番の理由はやはり、その恵まれた食生活がいまだに忘れられないからだろうことは想像に難くない。 なにせ、観光客が飛びつく新鮮な海鮮モノに限らず、巷のスーパーで売っている普通の煮魚、焼魚の類でもこれまで関東で生まれ育

一度認識してしまうと、常に目に入ってくるマイコンビル。

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 今となってはGoogleマップという文明の利器が整備されているので、どこに行こうが道に迷うということもなくなったが、この文明の利器がまだ充分整備される前の10年前くらいまでは、地図が読めない男として自他共に認めるわたくしとしては、知らない土地を歩くときには特に特徴的な建物を記憶しておき、道を間違えたときはそんな特徴的な建物を頼りに来た道を戻るような

家系ではない金澤系?な『金澤神仙』。

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 金沢へ引っ越してきた当初、ジモティにオススメのラーメンは?と聞くと十中八九『8番ラーメン』と言われて、正直金沢のラーメン文化を疑う日々であった。 がっ!?その石川県民・金沢市民の三世代のDNAに刻まれた『8番ラーメン』信仰については以前もご紹介したと思うが、はじめて食べた8番ラーメンは高速道路のサービスエリアのラーメン並だが、不思議と金沢で一年も暮

男飯の要素全てがここに在る、『宇宙軒食堂』のトンバラ定食!

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 男飯に必要な要素といえば、『こってり』、『ボリューミー』、『味が濃い』というところであろうか。 自分自身が10代20代の頃であればいざ知らず、とっくに人生のターニングポイントを迎えている初老になっても、こってりと脂っぽくボリューミーで味が濃い、白米が止まらない料理を前にすると脊髄反射で箸が進んでしまうのである。 ここのところ金沢名物である海鮮モノ

チェーン店なのに今では味わえない『くるまやラーメン』。

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 金沢時代に暮らした長田のマンション前の長田交差点を曲がり、犀川に架かる若宮大橋の方へ向かって自転車を漕いでいくと見覚えのあるチェーン店のラーメン屋を発見した。 『くるまやラーメン』である。 たしか都内では西と東の方しか店舗展開していなかったと思うが、わたしはこの看板をよく目にしていた。 北関東の実家の隣町の街道沿いに2、3店舗展開していたのである

ピザよりも先に口にしていた昭和の喫茶店育ち。

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 前回同様、2015年9月の東京出張時の写真から。 わたしの両親は共働きであり、母は当時電電公社と呼ばれていた現在のNTTで電話交換士の仕事をしていたことから、月に何回か泊まりのシフトが存在した。 泊まりの時の母はいつもより遅い時間(といってもわたしは学校に行ってる時間帯なので実際出勤の姿の記憶は無いのだが)に出勤して一晩仕事をして、翌朝8時くらい

東京出張で久々に味わった懐かしの味『満来』。

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 2015年8月から9月にかけてはけっこう頻繁に東京出張が重なっていたようである。 思い返すに事業計画の空積みを実体化すべくいろいろと本社様に仕事の無心に走り回っていた時期なんだと思う。 そんな東京出張で泊まりの場合は、旧職場の最寄りでもあった新橋のアパホテルに宿泊することが多かった。 旧職場に顔を出したり、新橋駅周辺の行きつけのお店で食事をしたり

『とんとん亭』の日替わりランチはオマケのメンチかつサンドすら立派な主食級!?

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 北安江、諸江通り沿いの『とんとん亭』については以前もご紹介したかもしれないが、およそ金沢の海の幸を楽しみにやってきた観光客がわざわざ足を向けるには微妙に遠く、海の幸でもないことからその優先順位は限りなく下がるであろうことは想像に難くない。 実際にわたしが暮らしていた2016年6月までの間に店内が観光客で賑わっていた記憶は無く、ほとんどがジモティで占

金沢市中に中津が出現!?KARAAGE83。

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 先日ご紹介した広坂の『あげは』と同様に、今回のお店もなんでもっと早いうちから入店しなかったのだろうか?と後悔をしたお店である。 今回のお店は安江町に在った、そう残念ながらたしかわたしが金沢から東京に引っ越した2015年の夏過ぎには建物老朽化による立ち退きでお店を閉めてしまったのだ。 そのお店は『KARAAGE83』。 なかなかアメリカンな印象も持

富山ブラックといえば『大喜根塚店』がホンモノ!

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 先日、富山駅構内のとやマルシェに出店している富山ブラックの『大喜』についてアップした通り、これが通常の味覚ではあり得ないくらいに、真夏に朝から汗水垂らして肉体労働に勤しんだ日の昼食でもないとなかなか身体が受け付けないような塩辛さであり、これがご当地ラーメンとして名を馳せる本場の『富山ブラック』なのか? と、合点がいかなすぎて首が90度曲がったままに

想い出の味『カプリチョーザ』の田舎風。

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 『カプリチョーザ』といえば、上京とともに知り、大学の友だちや彼女と通いまくった記憶の中のお店であった。 当時は都内でも有名どころにはかならず出店していたと思われるが、わたしが通い尽くしたお店は下北沢店であった。 バブルが始まる頃合いと重なっており、米よりもスパゲティ。なんなら自宅でもスパゲティを茹でて食べるのが都会の生活という程度には、すっかり頭

広坂町の名店『あげは』の海鮮饅頭は是非食べるべき!

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 金沢に引っ越してきた2014年7月時点で、金沢市内の行ってみたいお店リストの上位にランキングさせておきながら、なかなか入店する機会を得られていなかったのが広坂町の『あげは』さん。 なにせ、今度こそは!と意気込んで訪れる度にそのお店の前の行列に心が折れてしまい、何度となく肩を落としてお店の前を通り過ぎることを繰り返していたのが、たまたま近所のお客さ

第七以外に、金石餃子もオススメです!

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 金沢というと海鮮のイメージが強すぎて、よほどの変化球狙いでも無い限り「餃子」にスポットがあたることはないが、そんな中でも金沢市民のソウルフードとまで親しまれている『第七餃子』ではなく、『金石餃子』となるとさすがにそこまで金沢グルメをほじくるメディアもなかなかないのである。 まだ『第七餃子』には触れていないと思うが、その前に我が家で訪れたのが『金石