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写真で二言三言【金沢編】

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思っていた以上に【金沢編】の記事が多くなってしまったので本編の『写真で一言二言』と切り離して別冊といたしました。
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2024年1月の記事一覧

20代、30代、40代となにかと縁がある竹橋パレスサイドビル。

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 そんなこんなで前回の続きになるが、2015年3月24日に北陸新幹線開業後初めて搭乗して、私は金沢から東京出張にやってきたのである。 目的は親会社の事業部との打ち合わせであり、東京駅到着後に先ず向かったのは東西線竹橋駅の真上にある竹橋パレスサイドビル。 千代田区一ツ橋1丁目1−1というまさに皇居のお堀沿いに建っているやたらと東西に細長いビルである。

2015年3月24日11:32金沢駅発北陸新幹線はくたか562号初搭乗で東京へ!

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 2015年3月14日、金沢市民、北陸3県民が待ち焦がれた北陸新幹線がまずは金沢⇔東京間で開業した。 私が金沢で過ごした丸二年間、期せずしてラッキーだったのは北陸新幹線開業前の金沢と開業後の金沢の両面を見聞きすることが出来た点にあると思っている。 これまで東京出張するのに金沢駅からバスで小松空港に向かい、小松空港からは空路羽田空港へ。 羽田空港から

大阪福島の高級焼肉店『なか田別亭』で肉吸い初体験っ!?

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 以前も触れたかもしれないが、北陸新幹線開業前の金沢はどちらかというと関西圏との繫がりが強かったような気がする。 実際にビジネス面でもそうであり、私が出向した金沢の地域会社も以前は大阪の地域会社の金沢支店という位置づけの時代もあった。 そんな昔からの繫がりもあり、出向していた2年間に大阪出張をした回数が意外と多かった。結果東京出張とあまり変わらない

『のど黒飯いたる』でのど黒飯に舌鼓!?

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 わたしが金沢に引越をした2014年7月以降、そんなに日も経っていないくらいの頃からTVのバラエティ番組でやたらと『のど黒』の名を見聞きするようになった。 いったいナニがキッカケだったのか調べてみたら、2014年9月に錦織選手がテニスの全米オープンで準優勝して際のインタビューで「帰国してノドグロとかあったら食べたい」と語ったことがキッカケだったようだ

金沢の二郎インスパイア系といえば『神やぐら』。

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 今改めて思い返すと、いったい最後にラーメン二郎(インスパイア系含む)を完食出来たのは何年くらい前のことだっただろうか? すでにこの金沢転勤前の2013年くらいには完食出来ていなかったような気がする。 しかも三田の本店で不甲斐なくもナニもマシしていないにも拘わらず、完食出来ずにお店を後にしたことを思いだした。隣で慶應出身の20代女子が完食していたにも

実は一度だけ池袋戻る機会がありました。

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 この企画のために2014年7月以降の2年間の写真ライブラリを見返して思い出したのだが、何度となく出張で東京に来ていたわりに古巣の池袋を訪れることは無かったと思っていたのだが、実は一度だけ訪れていたことを思い出させてくれたのが今回の写真である。 2015年3月上旬のこの一枚。この写真の後の数枚を確認して思い出したのだが、この日の翌日に金沢転勤前の元

堅町のミニブタ店長は今何処??

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 『ミニブタ』というイキモノが実は全く『ミニ』ではないっ?ということを知ったのもこの2年間の金沢生活でのことだった。 いまだにそうだが、我が家では土日の週末となるとうちの妻も家事はお休みということで、週末は外で外食することになっている。 当然のことながらこの2年間の金沢生活でも同じように過ごしていたのだが、池袋での生活と違い、暮らしているところとお店

民家と水路。

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 2015年に年が明けた頃合いから2015年2月にかけて、写真のライブラリには数多くの水路の写真が存在する。 今回もそんな中からの一枚であるが、これは別に金沢の観光地でも何でも無く、極々普通の金沢市内の住宅地の街並みである。 金沢市内にはこれまで何度も触れてきているが、金沢城惣構の遺構として当時の堀跡がそのまま用水路として残っている。 江戸時代から

おそらく一番ランチでお世話になった『満まるまる』さん。

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 今回の写真は2015年2月末の写真である。 まさか、転勤以来八ヶ月も経ってからこのお店の写真がでてくるとは思ってもいなかった。 おそらく2年間の金沢生活の中で一番平日ランチでお世話になったのが、こちらの『満まるまる』さんである。 結局のところ『満まるまる』が正解なのか?『満まる。』が正解なのか?いまだに解らないのだが、読み方はどちらも同じで『まんま

微かな記憶だが来たことありげな『蛇之目寿司』

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 2014年7月に金沢に転勤してくるまでまったく金沢に縁が無かったか?というとそういうことも無く、学生時代に旅行で一度、2012年に二度ほど出張で来たことがある。 なので、計三度転勤以前に金沢を訪れたことがあるのだが、そのうち二度ほど訪れたことがあるらしいのがこの写真の『蛇之目寿司』である。 おそらく最初に訪れたのは学生時代の旅行の際。 今となって

金沢にも一風堂?定番の一杯に安心!

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 石川県下のソウルフードとも言うべき『8番ラーメン』。 祖父母の世代から現在まで、三世代にわたって石川県民の舌の味覚にその記憶を遺伝子レベルで書き込んでいくその戦略は恐ろしいモノがあるが…… 金沢市内においては御輿をはじめ、麵屋大河や神仙など徐々に普段使いのラーメン専門店も増えていった頃合い。 片町、香林坊といった金沢市内の繁華街は特に気合いを入れ

東京出張の楽しみだった『アカシア羽田空港店』。

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 前回のエントリーで北陸新幹線開通に伴い、最後の小松空港になってしまったと書いたところだが、この空路での東京出張が無くなり、東京出張の楽しみが一つ減ってしまったことがある。 以前も触れたことあるかもしれないが、昭和40年代生まれの昭和育ちの年代は、まだ幼少期にはファミレスというものがなく、洋食を食べるのはもっぱらデパートや商店街にあるレストラン(洋

最後の小松空港。

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 迎えるものが増えると失うものも増えるということで。 2015年3月14日に北陸新幹線が開業するまで、金沢から東京への出張は空路であった。 金沢駅前からリムジンバスで小松空港まで。小松空港から飛行機で羽田空港、電車で都内各地へというルートであった。 2014年の夏に金沢に転勤するまでのほぼ2年間は文字通り北は北海道から南は沖縄までいろんなところに出