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ひいきの相撲取り

好きな相撲取りはいつもいた

私は必ずしも熱狂的な相撲ファンではない。しかし、そうは言いながら、いつもそれなりにひいきの相撲取りはいた。小さな子供のころのことだが、4歳下の私の弟は典型的な「巨人・大鵬・卵焼き」大好きタイプで、世の流行に追従しがちで、そのころは熱狂的な大鵬ファンだった。私は弟とはアプローチが違っていて、いわゆる「嫌いで好き」というやや変則的なパターンだった。「嫌いで好き」というのは、「嫌い」が昂じて逆に「好き」になるというものだ。ずっと昔の相撲取りのことだからほとんど四股名は忘れたが、例えば相撲取りの中には凝った筋肉をマッサージしたり、血の循環をよくするために背中にプラスターを貼る人がいる。そうした療法の一つに「吸い玉」というのかある。患部、といってもほとんどが背中だが、背中の何か所かに灸をして、その上にガラスでできた半球を被せる。これをやると、ガラスの半球の中の酸素が消費されて、半ば真空になるので、ガラスの半球を外した後に、皮膚に真っ赤な丸い痕が残る。つまり、吸い玉というのを6か所すると、背中に6つの赤い円が浮き出ることになる。

背中の「吸い玉」が、「嫌いで好き」のそもそもの原因

この「吸い玉」は相撲界では結構人気があるようで、いつも何人かの相撲取りが背中に「吸い玉」の痕を残していた。初め私は、この背中の赤い円がタコのキスマークのようにグロテスクに見えたので、「吸い玉」の痕が何となく嫌いだった。そして結果的に、背中に「吸い玉」の痕を残している相撲取りが嫌いだった。しかしこの「吸い玉」の痕も日々微妙に変化するもので、昨日の痕に今日の痕が重なるなど、幾分かその形にデザイン的な意外性を感じた瞬間があった。それからは、「吸い玉」や「吸い玉」の痕にことさら嫌悪を感じることはなくなって、やがて「背中の吸い玉」を通してこの相撲取りに馴染みを感じ始め、「吸い玉」の相撲取りはついには私の一番のひいきの相撲取りになったのだ。

このケースは一つの例だが、私にとっての「嫌いで好き」の「嫌い」なことのケースとしては、「ことさらにユルユルなまわし」、「あんこ型の大きなお腹に貼られたスバル星座のような小さな絆創膏群」、「黒い巨大なお尻に生じる様々なデリカシーのなさ」、「お乳のあまりの豊かさと形状」、「いかにも自信のない表情」などがあった。もちろんこの「嫌い」だったことが、やがて私のささやかなこだわりになり、次いで愛嬌のある馴染みになり、最後にはこの相撲取りが私のひいきの相撲取りになった。こうしたことを何度も繰り返してきたのが私の相撲のひいき歴である。

こうしてみると、好きと嫌いはけっこう紙一重で、好きであった理由も、嫌いであった理由も、ほとんどが意味のないものであった。嫌いが逆転してその相撲取りが好きになったのもまた、ほとんど意味のないものだった。相撲以外のことについても、人々の多くは自分の好き嫌いを唯一の手掛かりに物事を判断しているが、人の好き嫌いというのも特に根拠がないように思う。そこまで言うと、人生が空しくなりそうになるので、私は自分の好みについて一応のガイドラインを設けていて、一旦はそのガイドラインに沿ったものにするのだが、些細なことで評価は一気に逆転するので、やっぱりこれも意味がないのかも知れないと、思うようになったのだ。


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